Category Archives: その他

Blogの自己分析

Blogを始めて、ほぼ一月。明確な対象も決めないままに、いろいろなことをいろいろな形で書いてきました。自分自身のメモのようなものもあります。

最近、カテゴリーを増やして、Diaryだけでなく、「研究トピックス」、「大学関係」、「学術一般」、「情報社会」、「その他」というふうに分けてみました。これまでの全32件について、(重複がありますが)カテゴリーを見ると、この5つのカテゴリーにほぼ、均等に書いているようです。

カテゴリー分けがしづらいのですが、「論調」といったことで、「情報提供」、「意見表明」、「意見伺い」のように分類してみました。これも重複があるのですが、「研究トピックス」の5件はもっぱら「情報提供」で、研究の話題を分かりやすく紹介するつもりであったことが分かります。研究で主張するのは、論文になりますから、当然といえば当然でしょう。

「大学関係」では、「意見表明」をしつつ「意見伺い」というものが多いのですが、明確に意見を書いたものが6件ほどありました。

「学術一般」では、「情報提供」2件、「意見表明」4件、「意見伺い」2件でした。

「情報社会」というカテゴリーには、さまざまなものを入れましたが、情報技術やツールに関するものも含んでいます。「情報提供」2件、「意見表明」1件、「意見伺い」2件。

「その他」には、用語や文体のような話題から、この記事のようなものまでさまざまですが、7件ほどがありました。

「意見表明」については、うっかりすると「愚痴」にならないとも限りません。ある方から、そのようなご注意もいただきました。本人はそのつもりでなくても、どのような意図をもってBlogで発信するのかということを明確にしないと、誤解を招く恐れがあるということだと思います。意見を表明するにしても、それを主張するほど強いものではないと思っていますが、それでもなお、「なぜ、他の手段ではなくBlogで発信するのか」と問われると、今は、明確な目的を答えられません。もちろん、他の機会に同じような意見を述べているのですが、その上で、Blogで発信するのは、かえって、「愚痴っている」ととられかねないということです。こういったことには気がつきませんでした。

このBlogを始めたきっかけはいろいろあるのですが、まずは、情報社会における情報発信のツールを使わずして、情報社会に口を出すのはおこがましいという気持ちからです。2月初めにtwitterを始めてみたものの、どうも性に合いません。遅ればせながら、Blogを経験してみようと始めました。これまでにも、専門家相手の論文以外に、教科書や解説といった文章も書いてきましたので、書くこと自体は慣れているつもりですが、Blogでの発信はやはり違うようです。長きにわたって社会に定着した書物とは違った形のBlogというメディアでは、発信者と受信者の関係が(匿名性を含めて)一種の「おもむき」を作り出しているようです。

この一月の経験をもとに、今後も継続して発信したいと考えています。

国際ワークショップの開催場所

われわれはほぼ毎年、研究室(まわりの関係者)で主催する国際ワークショップを開いてきています。最近は、科研費の研究課題の「双方向変換」に関わるものが多いといえます。分野によっても違うでしょうが、われわれの場合には全体で30名、内、海外からの参加者が10名〜15名といったところです。

今日の夕方から、ワークショップの場にきています。今回は海外からの参加者は19名です。
http://www.biglab.org/4th-Btrans/#links

ワークショップは国際会議と違って、研究途上のアイデアや、場合によってはすでに発表したものの紹介など、交流を深めるために有効だと思います。とくに、国内で開くときには、学生にも参加してもらって、国際的な視野をもって研究を進める刺激を得る機会にしてもらっています。

いつも話題になるのは、このようなワークショップを開く場所のことです。経費のこともありますが、運営にかかるオーバーヘッドを少なくしたいというのが一番の大きな課題です。

今回のパレスホテル箱根でワークショップを開くのは3回目です。2000年と2004年にここで開きました。様子がわかっているということもあるのですが、アクセスが便利(というより、分かりやすい)のがなによりです。もっとも、成田空港から新宿、新宿から高速バスですので、それほど近くはありません。しかし、バス停がホテルの前にあるので、迷うことはありません。ここでは、準備のときにも協力いただいたのがありがたかったというのが印象に残ります。これで分かるように、実は、今回は、私のところで面倒をみたわけではなく、同僚であったH氏のところでアレンジしていただいたものです。ワークショップは明日、明後日が本番ですが、なかなかよいものになると期待しています。

このようなワークショップを(日常的にというまでもなく)折に触れて、大げさな準備なくできることは、われわれにとって大事なことではないでしょうか。国際会議のようなフォーマルな会合にはそれなりの準備と体制が必要です。参加者がオープンですので、それなりの準備が必要でしょう。しかし、日常的な共同研究を進めるためのワークショップを開くことには、相互に簡潔な形が望まれるでしょう。

われわれは、(これは、それを宣伝するというわけではなく)今、開いているパレスホテル箱根

http://www.hakone.palacehotel.co.jp/

と、湘南国際村センター

http://www.shonan-village.co.jp/

をよく利用しています。

東京から、また成田からもアクセスが分かりやすい、というのと、様子が分かっているという経験の部分もかなり大きいといえます。もちろん、それぞれのサイトでのサポートが次の機会につながっています。

箱根では3回ですが、湘南国際村ではもっとやったように思います。それにしても、候補が2つでは足りないというのが率直な印象です。同じテーマでは、2箇所では飽きてしまいます。新たな場所があればよいと思っています。

東京近辺では、思ったほど可能性は多くありません。もちろん、経費、宿泊費等々、わがままな要求ではありますが、実質的な研究交流のためのワークショップ開催の情報をいただきたいというところです。

百聞は一見に如かず

2月半ばに始めたこのBlogも3月を迎えました。

慣れないことでしたので、ときには力任せに長々とした文章をかいてしまったこともあったようです。Blog全体のタイトルが殺風景だということも気になっています。なにか、キーワードがあれば書きやすいのではないかと思い、ふと、思い浮かんだのが「百聞は一見に如かず」でした。

どうやら、私はけっこう、やってみようとするたちのようです。もっとも、ものによりますが・・・。「百聞は一見に如かず」は広辞苑によれば、

[漢書趙充国伝] 何度も聞くより、一度実際に自分の目で見る方がまさる。

とあります。英語では、研究社の新英和・和英中辞典では、

Seeing in believing.

がピッタリのようです。あるとき、「『理論』も大事だが、それにも増して『実践』も大事」ということを示すのに、英語で

An ounce of practice is worth a pound of theory.

という諺を使いました。最後の”theory”のところを”precept”、あるいは”preaching”とするのがもとのことばのようですが、それだと、「百の説教より一の実行」になってしまい、上からの目線という感じがします。教え諭すときに、何度も説教するよりも一度、実践した方が効き目があるということだそうです。

それよりも、理論に関わりをもっている者が実践を軽んじることがないようにと、practiceとtheoryを使おうというのが私の気持ちです。ソフトウェア科学の研究をやっている中で、情報技術の発展を実感しながら、情報社会で実践することを通して、いろいろなことを学びたいと思います。「百聞は一見に如かず」とピッタリかどうかは疑問ですが、もう一度、

An ounce of practice is worth a pound of theory.

「・・・を科学する」こと

名詞に「する」をつけて動詞として使うのはあまり好きではありません。しかし、数年前に、「サービス」を科学的に捉えようという新たな考え方に共鳴して、大学における産学連携研究会のお世話をしたときには、「サービスを科学すること」と題してキックオフの基調講演をしました。2006年10月13日のことでした。

http://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/kyogikai/forum/forum7.html

それから2年余り、産学連携でこのテーマについて共同でサービスイノベーション研究会を開催して、2009年2月23日に報告書とそれに基づく提言書をまとめ、3月9日にはその報告を兼ねてフォーラムを開きました。提言書と報告書は

http://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/service-innovation/index.html

にあります。

「・・・を科学する」というのは、私には魅力的な言い回しです。科学的方法を追究するということを、これほどまでに簡潔に表現することばが見あたりませんでした。最初に書いたように、「名詞+『する』」は気持ちが悪いのですが、それにもかかわらず、このことばを使いました。ひょっとしたら、新しい分野の創成といった(私にとって)未知の領域の科学を探ろうという気持ちがあったからかも知れません。

さて、上にあげたURLのページには、提言書を英訳したものも置いてあります。提言の冒頭には、

「われわれは2006年10月から2年半にわたり、産学連携によるサービスイノベーション研究会において「サービスを科学する」視点の確立によるイノベーションに向けた議論を行ってきた。」

というくだりがあります。英語版ではどうでしょうか。

For over two-and-a-half years, commencing October 2006, discussions have been held under the Service Innovation Research Initiative in a collaboration between industry and academia with an eye towards realizing innovation through the establishment of a perspective based on Scientific Study of Services.

となっています。もちろん、全般的に逐語訳ではありませんが、ここでは「科学する」を “Sciencing” とは言っていません。”Sciencing” も聞き慣れない単語で、英語の「・・・する」風の造語でしょうが、Webで検索するとかなり使われていることが分かります。

実は、こういうこともありました。2008年5月21日にシンポジウムISAS2008

http://www.rel.hiroshima-u.ac.jp/isas2008/

で研究会の概要を話すようにと依頼を受け、英語版の説明スライドを作りました。そのときには、2007年10月12日付の提言について述べましたが、そこには、”Sciencing Services” という表題のページがありました。スライドではつねに引用符をつけた単語として “Sciencing” を使っています。

それから10ヶ月後、2009年の提言書を英訳する際には、”Sciencing” についてかなり調べました。ISAS2008は口頭での発表だったからというわけではないのですが、そのときには時間的にも十分に調べることができませんでした。白状しますと、そのときから、本当にこれでよいのか、と気になっていたのです。

いくつか、根拠となることはあるのですが、手元にある控えでは、たとえば、

http://www.science.ca/askascientist/viewquestion.php?qID=3432

にあるように、新語として “Sciencing” が使われたのは幼児教育の場であるということです。現在もその分野ではよく使われているようですが、もちろん、「対象物を科学的に取扱う」という、一般的な使い方も少なくありません。

しかし、「サービス」を対象とする場面で、新しい用語を使って誤解を招くのはよくないと考えました。そこで、2009年の提言書では「サービスを科学すること」を “Scientific Study of Services” としたのです。もっとよいことばがあるかも知れません。

さて、昨日の記事「規制を緩和するということは」の中で、「今日、1件、申込みしました」と書いたのは、「サービスを科学する」と題したフォーラム

http://www.prime-pco.com/ss-jst2010/

のことでした。やはり「・・・を科学する」は魅力的です。

「たとえば、・・・」ということ

現象を観察して一般的な帰結を説明するときや、論理的に結論づけられる一般的なルールをわかりやすく説明するときには、一般論を述べた後で、「たとえば、・・・」という表現を用いることがよくあります。とくに教科書など、説明を補強するときによく使います。また、専門的なことを一般の方々に説明するときにも使うことがあります。

しかし、この「たとえば、・・・」も結構難しいところがあります。まず、第一に、そこで述べることが、本当に、一般的なものの例になっているかどうかということがあります。正しくない「事実(?)」を例えにあげるのは論外ですが、そうでなくても、うっかりすると、読み手が納得してしまうようなこともあります。その事実を確認する手間が大変な場合には、その例が一人歩きしかねません。

先日、行政における電子申請の実態に触れた文書を共同で用意していたときに、利用度の低いシステムの事例として「○○電子申請システム」を示したところがありました。文脈からは、それはそれで(そのようなシステムが実現されていたとすれば)納得できるものでした。しかし、そのようなシステムはどうやら実現された形跡がないのです。うっかりしていましたが、チェックの段階で気づいて事なきを得ました。冷や汗ものでした。

40年以上前の学生の頃に教わったことを思い出します。数値積分法にシンプソン則 (Simpson則) というものがあります。積分区間を等間隔hで区切った点の関数値で定積分の値を近似しようとするものです。当然、誤差が出ますが、その誤差がhの3乗に比例することは解析的に求められます。教わったのは、その計算法を「たとえば、・・・に適用してみると」という実例です。

計算の誤差を見るのですから、真の値が簡単に計算できる例が必要だということは分かります。もちろん、本当にシンプソン則を使うときには、解析的に真の値が得られないからこそ近似するわけですが、ここでは計算法の理解と誤差の見積りを学ぶところですから、代表的な被積分関数を適当な区間で積分したものが例になるでしょう。当時、教わったのは、1/(1+x*x) を区間 [0, 1.2] で積分するものでした。この被積分関数の不定積分は arctan(x) ですから、区間 [a, b] で積分した真の解は arctan(b)-arctan(a)として求められます。とくに、a=0, b=1 ならば 45° の角ですから π/4 として筆算で求めることもできます。では、なぜ、この例では b=1 ではなく b=1.2 だったのでしょうか。講義ではその種明かしもされました。

シンプソン則の誤差は、細分区間幅hの3乗に比例するのですが、その係数は被積分関数f(x)の3次導関数によって表される(f”’(b)-f”’(a))に比例するということが分かります。ところが、ここで扱っている例では、f”'(1)=0,  f”'(0)=0 となって、b=1の場合にはhの3乗の係数は0になってしまいます。もちろん、これは誤差が0というわけではなく、実はhの5乗に比例するという特異な場合になっているのです。そこで、講義で教わったのは、一般的な場合の b=1.2 だったというわけです。ここまでの種明かしがあったからこそ今も憶えているのかも知れません。

当時、別の教科書で、その本質に気づかずに b=1 の例をあげてあるものがあったので、「見かけで信用してはいけない」「まねをしても馬脚を現す」ということも教わったのです。同時に、「たとえば、・・・」の怖さも知りました。大昔のことではありますが、印象に残っています。

「・・・さん」と「・・・氏」

最近、文書のなかに「○○さんにお世話になりました」といった表現のあるのを目にするようになりました。ここ数日、日本語で書かれた修士論文や卒業論文に目を通していて、いくつもの論文の謝辞にこのような表現があったので気になっています。

私は日本語を専門とする者ではないので、学術的な見方はできませんが、なんとなく、しっくりきません。話し言葉では「○○さん」というのが一般的ですし、もちろん、私もそう話します。とくに、面と向かって二人称として呼びかけるときには、他の呼称がないときにはこれしかないでしょう。親しい間柄のときには、ほとんど「○○さん」です。

しかし、他人が目にする文書の中で、三人称としての人名には「氏」をつけるものだと思って、長い間そのように実践してきた者が、「○○さん」を見ると、背中がかゆくなります。メールのメッセージでは、ときに相手の方を指す二人称も現れますが、三人称としての人名がほとんどでしょう。メールの場合には、それを受け取って読む相手が特定できますので、双方にとって親しい方を指すには「○○さん」も使いますが、なにより無難(?)なのは「○○氏」ではないでしょうか。

このような表現に現代的な基準というものがあるのかどうか、また、そのようなことはどこで教わるのか、疑問になってきました。大学生の頃、句読点の使い方、英文のコンマとセミコロンの使い方、数学によく現れるギリシャ文字の読み方などは、(日本語や英語の講義ではなく)専門分野の講義の中で、「・・・だから、注意するように」といった形で教わったように記憶しています。思いや感情を述べる文章はともかく、論文のような客観的で論理的な文章の構成やスタイルについては、卒業論文を書く機会に教わったのでしょう。私も、研究室では折に触れてこのようなことを指摘していますが、それでも「えっ」と思うことがあります。

一週間ほど前に「並列性忘却プログラミング 」について書いたときに、プログラムのスタイルに触れました。1970年頃の The Elements of Programming Style が頭にありました。木村泉先生の翻訳版は「プログラム書法」という書名です。

http://www.amazon.co.jp/Elements-Programming-Style-Brian-Kernighan/dp/0070342075

http://www.amazon.co.jp/プログラム書法-第2版-Brian-W-Kernighan/dp/4320020855

プログラムの記述のスタイルを述べているものですが、たしか、その著者たちが英文の書き方を述べた名著 The Elements of Style を引用していたように記憶しています。先日、手元にあったものを探したのですが、見あたらなかったので Amazon から購入しました。いくつか版があるようですが、私が購入したものは

http://www.amazon.co.jp/Elements-Style-Fourth-William-Strunk/dp/020530902X

です。懐かしく読んでいます。

日本語にもこうした教科書があるのでしょうが、適切なものを知りません。少し探してみたいと思います。