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我が国の科学者の過半数が「日本学術会議の任命拒否に対する抗議声明」に関わる

前回、2020/12/04 の投稿では、我が国の科学者の約半数が「日本学術会議の任命拒否に対する抗議声明」に関わっていると書きましたが、その後の学協会の声明を合わせると、過半数になりました。

これまでの情報に加えて、2020/12/24 の学術会議の記者会見資料にある学協会のデータ等を加えた結果です。2021/01/12 現在で以下のようになっています。

個別学協会数:  1,980、 総会員数(延べ)3,604,159 名

声明発出学協会数:  750 (37.9%)、 学協会会員数(延べ)  1,825,319 名 (50.6%)

声明を発出した学協会の情報が2次利用できるような形態ではないために集計に手間がかかるとともに確認がたいへんです。学協会の連合体で発出した場合や合同で声明を出している場合に個別の学協会にバラして、さらにはこれらに重複して現れている場合には重ねて集計することのないように処理を行っています。

我が国の科学者の約半数が「日本学術会議の任命拒否に対する抗議声明」に関わる

前回の投稿記事ー「日本学術会議の任命拒否に対する抗議声明」 人文・社会科学者の35%が」は11月中旬までの学協会の(うちで第一部人文・社会科学分野と思われるものの)情報を手作業で集計したものでした。

その記事の中で引用した我が国の学協会の現状の解説記事の執筆者の協力を得て、11月末までに抗議声明を発出した日本学術会議協力学術研究団体(協力学協会)の状況をあらためて集計しました。今回は全分野を対象としています。

個別学協会数:1,980、総会員数(延べ)3,604,159名

声明発出学協会数:718(36.3%)、学協会会員数(延べ)1,708,590名(47.4%)

延べ会員数の比率から直接的に声明に関与した科学者数を算出するわけにはいきませんが、87万人といわれる我が国の科学者の約半数が今回の会員任命拒否の抗議声明に関わっていると推察できるでしょう。

賛否が求められて任命拒否に反対したということではなく、学術界への政治の介入への危機の認識から学協会から自発的な行動として発せられたものです。その意味で、科学者の「半数」というのは大きな比率だといえるでしょう。まだ、行動をとっていない学協会にもこの動きを知っていただきたいものです。

抗議声明を出した学協会の中には、協力学協会に含まれていない団体もありますが、ここでは協力学協会のみを扱っています。また、大学団体等については含めていません。声明を出した学協会の一覧は学術会議の記者会見資料や Web 上で「学者の会」で公開されていますが、個別に発出することもあれば、連合体として、あるいは複数の団体が共同で発出することもあり、それによってこれらの一覧には重複が生じています。上はそれらの重複を除いて集計したものです。

協力学協会には「連合体」として個別学協会が集まったものも含まれます。抗議声明をこの連合体が出している場合もあります。ここではこれは構成している個別学協会にバラしています。基礎となるデータは2019年(一部、2020年)です。また、会員数は「個人会員」のみのデータです。科学者個人は複数の学協会の会員になるのが一般的ですので、会員数は重複を含む延べ数です。

日本学術会議の効率的な業務改革への取組みについて

日本学術会議に対して、菅内閣総理大臣は第25期会員の任命拒否の理由を明確にせず、一方で河野太郎行政改革担当相は2020年10月9 日に行政改革の検討対象として「二百十人の学術会議の会員数や手当には踏み込まず、国から支出される年間十億円の予算や会議事務局の約五十人の定員を見直す。」との考えを示した。

会議事務局は会長をはじめとする幹部会員とともに種々の学術活動を支えている。会員は多数の審議や科学者コミュニティーとの連携、政府や社会及び国民等との連携、国際アカデミーとの連携等々、種々の活動を行うことが任務であるが、210名の会員は非常勤の特別職の国家公務員、約2000名の連携会員は非常勤の一般職の国家公務員である。つまり、会長以下、全員が非常勤であり大多数が大学や企業に本務を持っている。こうした会員等の活動を支える事務局は政府の省庁の行政とは異なる側面があるといえよう。

10数年前の会員当時には関係会員と事務局職員が共同で会員業務の改革に努めた。学術会議の構成員である会員等と事務局の協働作業であった。学術会議での主要な業務は「ハンコ押し」ではない。業務の改善にあたってはその内容に通じた当事者が積極的に関与しなければ不可能である。当事者としてその一端を紹介する。

  1. 会員選考事務の改善:2005年に制度改革によって新生日本学術会議第20期が発足した。このときの会員は特例によって学術会議とは別に組織された選考のための委員会によって選出された。2008年に定例の3年の期ごとの「半数改選」が初めて行われたが、このときは候補者の推薦は紙面による提出であった。次の期の2011年の改選にあたっては、「電子化」による会員候補者の推薦を行うこととした。この方式はそれ以降、3年ごとに行われていて4000件以上の推薦書の提出、および審議のための処理が電子的に行われている。
  2. 会員・連携会員の意見交換のための掲示板:2011年の東日本大震災の際には学術会議においても対応のための数回の緊急集会が開かれた。その際に、出席がままならない会員等への連絡や意見交換のために会員有志によって臨時の掲示板を用意した。これをもとに、2012年10月には SCJ Member Forum を開設した。
  3. ビデオ会議:2012年12月21日の幹事会により、日本学術会議会議室以外から Skype 等を利用して会議に参加できるようにした。本務を有する会員等には勤務先からの移動に伴う時間的制約等、たとえ東京であっても会議への出席ができない状況を改善したといえる。また、会議出席のための旅費の節減にも寄与しているといえよう。
  4. メール審議:2013年9月の幹事会により、一定の議題に関しては、日本学術会議会議室に参集して議決を行う代わりに SCJ Member Forum の掲示板における意見交換・質疑を経て、メールによる議決を可能として、迅速な審議を行うことができるようにした。

これらは、いずれも今となっては一般的だといえようが、これらを10年ほど前に公式な手続きとともに実施した。2014年に会員を退任したのでその後の進展については承知していないが、不断に会員と事務局が効率的な会務を行っていると思われる。

これらが COVID-19 下での審議の対策として活かされ、多くの提言等がまとめられ活動を停止することなく第24期を終えた。10月1日に新たな第25期が始まり、さらなる活動が期待される。そのためにも、任命拒否された6名の会員候補者がただちに会員として任命されることを望む。

日本学術会議の会員と事務局とのこのような取組みも広く理解いただきたい。

日本学術会議の「総合的・俯瞰的」活動のために6名の会員任命を

2020年10月1日の日本学術会議第25期会員の任命にあたって、菅総理大臣は6名の科学者を除外した。その理由は一向に説明されないが、加藤官房長官他から、「総合的・俯瞰的」ということばが多く出てきた。おそらく、誰かがこれまでの日本学術会議に関して議論された文書から引いてきたのであろう。

菅氏は理由なき任命拒否を撤回して6名の科学者の会員を任命すべきである。

日本学術会議の制度改革にかかる2003年の報告書、およびその報告書にある「10年後の見直し」にかかる2015年の内閣府有識者会議の報告書における記述は以下の青字部分のように書かれている。

「日本学術会議の在り方について」(2003/02/26)
総合科学技術会議

I はじめに
・・・
(p.1)
2.本意見の骨子
○今日、日本学術会議は我が国の科学者コミュニティを代表する組織として、社会とのコミュニケーションを図りつつ、科学者の知見を集約し、長期的、総合的、国際的観点から行政や社会への提言を行うことが求められている。
○このような役割を充分果たすためには、まず、会員制度、部門等の構成、運営体制等の改革を早急に行うことにより、科学者コミュニティの総体を代表して俯瞰的な観点に立ち科学の進展や社会的要請に対応して柔軟かつ機動的に活動しうる体制に変革しなければならない。
・・・
II 科学者コミュニティの果たすべき役割
・・・
(p.4)
2.組織について
日本学術会議は、新しい学術研究の動向に柔軟に対応し、また、科学の観点から今日の社会的課題の解決に向けて提言したり社会とのコミュニケーション活動を行うことが期待されていることに応えるため、総合的、俯瞰的な観点から活動することが求められている。

ここでは、「日本学術会議が総合的・俯瞰的観点から活動する」としていて、科学者個人の研究に触れているわけではない。

「日本学術会議の今後の展望について」(2015/03/20)
内閣府 日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議

2.日本学術会議の組織としての在り方
(1)意識、活動へのコミット
② 求められる人材と選出方法
・・・
(p.24)
【有識者会議としての意見】
第2で述べた日本学術会議に期待される機能を踏まえると、その会員・連携会員は、自らの専門分野において優れた成果を上げていることに留まらず、様々な課題に対し、自らの専門分野の枠にとらわれない俯瞰的な視点を持って向き合うことのできる人材であることが望ましい。・・・

政府による説明はここにある「俯瞰的な視点」を引用したのか?しかし、ここでは「総合的」が一緒に出てきているわけではない。2003年のものと2015年のものをごっちゃにしてあいまいな表現にしたとも考えられよう。それにしても、重要なのは、「自らの専門分野において優れた成果を上げていることに留まらず」が前提である。その判断はそれぞれの専門分野の科学者しか判断できない。各分野の専門家によって「優れた成果を上げている」と判断されて日本学術会議から推薦された6名の科学者のをただちに任命すべきである。

最近の大学における「質保証」について

昨年(2018年)の3月まで、7年間、大学の質保証の業務に関わっていましたが、それ以降、1年3ヶ月ほどはまったく関わっておりません。以前に大学にいた頃のComputer Scienceの研究に戻って、その間の研究の進展をフォローしながら10年ほど前に考えていたことを継続してプログラミングを楽しんでいます。

その一方で、ときにはいろいろと報道される最近の大学の状況について考えるところもあり、以前の業務を通じて知った質保証を担う当事者としての大学、および学生、教員、職員の方々へのさまざまな思いが出てくることもあります。

最近、話題になる大学の問題の多くは組織のあり方に関するものが多いと言えるでしょう。「改革」の名の下に実施される施策が必ずしも正鵠を得ていないことも、また、それを指摘することが躊躇われるということもあるのではないでしょうか。

いまでも「平成27年度大学質保証フォーラム−知の質とは – アカデミック・インテグリティの視点から」を企画し開催したときのことを思い起こします。なにより、大学にとっては、「改革」、「評価」といった対処に追われるだけではなく、学生、教員、職員のそれぞれが「アカデミック・インテグリティ」を真摯に追究すべきであろうと思います。これに加えて、「非寛容の排除」も大事だといえるでしょう。以前から話題になっている「研究不正」については、多くは教員によるインテグリティの欠如によるものですが、それでもやはり組織としてのインテグリティが欠けているといわざるを得ません。「不適切な入試」にまつわることがらもおなじでしょう。「制度改革」も必要でしょうが、それが当座の問題を見えなくするための形ばかりのものになってしまわないことを願っています。

「質保証」ということばには広い意味がありますが、その基礎にあるものをもう一度、考えてみることも大事でしょう。

久しぶりの投稿です。

「知の質とは —アカデミック・インテグリティの視点から—」大学質保証フォーラムの開催について

アカデミック・インテグリティ(の一端)については、これまでにもこのBlogに書いたことがあります。2年ほど前に研究不正について議論が行われ始めたときにさらにその前2年半ほど前のことを回顧しながら考えを書きました。

科学者倫理に思うこと

Academic Integrity と Research Integrity

など、さらにはそれ以降の記事の多くも、これに関係する話題が多かったと思います。 Continue reading →

「東大が軍事研究解禁・・・」の報道について

2015年1月16日産経新聞朝刊の第一面に掲載された記事に驚きました。sankei.comのオンラインニュースにも出ています。そこには、

 東大は昭和34年、42年の評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針を確認し、全学部で軍事研究を禁じた。さらに東大と東大職員組合が44年、軍事研究と軍からの援助禁止で合意するなど軍事忌避の体質が続いてきた。

ところが、昨年12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記。軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認した。ただ、「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」と歯止めもかけた。以前は「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」としていた。

とあります。

情報理工学系研究科に4年近く前まで在籍した者にとってはまったく意外なことでした。2004年の国立大学法人化のときに研究科長を3年間務め、法人化に伴う国立大学の変化も見た者が、4年前に離れてその後は足を踏み入れないできた組織で何が起こっているのかと関心を持たざるを得ません。

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論文査読の陥穽

研究論文はピアレビューによってその質が保証されるというのが一般的です。しかし、驚くべきことが起きていました。

SAGE社の出版する雑誌で60本の論文撤回 1人の著者が複数の別名を使って自分の投稿論文を自分で査読

内容がどうのこうのとことではなく、査読をごまかしたというわけです。最近は、投稿論文の査読をオンラインで行うことが多いことから、起きたことだということでしょうか。SAGE社は more than 700 journals and over 800 books を刊行しているとのことです。論文誌ごとに査読者候補のリストを作っているでしょうから、そこに、たくさん偽名で登録をしておいて、自らの論文を「査読」したということでしょう。

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学術界における「抵抗的意見」とは?

ある学術的な組織のある委員会の委員長が審議の経過を報告した公開文書に、

・・・にあたり、それがやや革新的であったためか、多くの抵抗的意見が○○○○○○の中で出された。しかし、本委員会委員の方々の真摯な議論と積極的な支持により、すべてを乗り越えることができた。

との表現を見て、これが科学者コミュニティで議論した総括だというのは、あまりにも残念な気持ちになりました。なにか、最初から決まっていることを結論づけるために、形式的に議論したというだけのことだったのでしょうか。

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自律的な学術公正性の確保に向けて(追記)

最近のSTAP細胞の論文についての調査委員会の中間報告や、その論文の筆頭著者の学位論文のことについてのさまざまな情報を知るにつけ、ますます学術界の現状に、そこに身を置く一人として、大きな責任を感じます。

先日、ある会合で以下のような意見を述べました。とくに今回の件を意識したものではなく、最近、見聞きしていたことからの発言です。

資料には、「次代を担う人材育成をしているのか」、また、「優秀な若手研究者が育ちにくいのではないか」ということが課題とされていますが、若手だけではなく、次の世代を育てるような研究者が育っているのか、ということが問題ではないでしょうか。つまり、研究はしているのかもしれませんが、次の世代を育てるような形で研究しているのかどうか。私は疑問に思います。特に最近の若い方が、「論文」は書けても、議論の場とか、文書をまとめるときに論理的な素養について「えっ」と思うようなことをたびたび経験しています。研究を通じて研究者を育てるという体制がとれているのかどうかということを強く意識すべきだと思います。研究体制そのものに対する欠陥というのがかなり現れてきているのかも知れません。こうした認識を持てるものかどうかも考える必要があるのではないかと思います。

研究に携わる者が一人の独立した研究者として自律的に責任ある行動をとることが前提となって、社会から学術界における研究の自由が認められているといえるでしょう。

半年ほど前から、これに関連する話題としていくつかの意見を書きました。これらは、いわゆる「研究不正」への対応だけではなく、学術界における「誠実さ」をもとにした自律的な公正性の確保が重要ではないかという考えを述べたものです。業績誇称や利益相反なども対象になるでしょう。

これらについては、4年ほど前にも書いたことがありました。

今回にも話題になっているような学位論文の剽窃問題に愕然として考えを書いてから、ずっと気になっていました。加えて、半年前には業績誇称などのことがきっかけで、学術界での自律的な活動の重要性を強く感じたのです。そのときには、今回のSTAP細胞のことなど知る由もありませんでした。

Retraction Watchのサイトに見るわが国の論文の撤回には驚きます。国際的にわが国の学術論文が信頼されなくなることは極めて深刻な事態だといえるでしょう。

研究者は、自ら学問への誠実さによって真理への畏れをもち、「学術公正性」を育むことが大事でしょう。それによって、次代の研究者を育成することができると信じています。