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Academic Integrity とResearch Integrity

これまでに、「学術『公正局』」ということでいくつかの記事を掲載しました。最近の話題が「研究不正」への対応に向いていることから、また、生命科学分野の議論が活発で、米国のORI(The Office of Research Integrity)が参照されて、「公正局」という表現が使われていたことから、その名称を借りました。しかし、わが国で実効的な組織を考えるときに、米国ORIの機能でよいのかどうか検討が必要だという指摘もあります。このなかで、研究不正だけではなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を対象とする組織を「学術『公正局』」と表しました。

米国では “Academic Integrity” ということばも使われています。「学術上の誠実さ」とでもいえばよいのでしょうか。あるいは、「学術公正性」といってもよいかも知れません。米国にInternational Center for Academic Integrity (ICAI) という組織があり、多くの大学がメンバーになっています。たんに研究だけではなく、大学の学生や教職員、大学役員などすべての構成員に対する誠実性の規定 (Code of Academic  Honesty) とその実施状況の評価の基準などの情報の提供などを行っています。

わが国では、研究面での不正防止のために研究倫理プログラムを開発して普及させるということが計画されていますが、2年半前に「科学者の行動規範とAcademic Honesty」で書いたように、学問に携わる初期に身につける「誠実性」は研究活動における不正行為への健全な意識をもつためにも重要でしょう。たとえば、指導者からの不正行為の強要といったことにどう対応するのか、自らの信念をもつ機会となることが期待されます。大学教育の中でも、たとえば、工学倫理といったかたちで職業上の倫理が扱われてきていますが、大学における学生生活のなかで身につけるべき「誠実性」もその範囲に含まれるでしょう。

研究成果としての論文の捏造、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用 (Plagiarism)という、いわゆる FFP 研究不正は「研究公正性」の問題ですが、その成果を得るための研究費獲得の際には、業績誇称といった「学術公正性」の問題が出てくることがあります。また、FFP研究不正の当事者として、大学教授といった一定の職階の研究者が多いことから、その職を得た過程について問題が指摘されることもあります。経歴や業績を自ら誠実に記載するのは、研究者としての資質に関わることですが、最低限、研究者として歩むときに身につけるべき誠実さだといえるでしょう。

“Academic Integrity is fundamental to everything we do in the academy”  ということばがあります。大学や研究機関における「学術公正性」の周知を深めることを考えるべきだと考えます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について

8月29日に公表された文部科学省の平成26年度概算要求の資料(のp.41から始まるp.50)に「研究不正に向けた取組」の要求が示されています。そこには、「考え方」として、「研究不正の防止に向けて、副大臣を座長とした『研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース』を設置し、これまでの不正事案に対する対応の総括を行うとともに、今後講じるべき具体的な対応策について検討。また、平成26年度概算要求に、研究倫理教育プログラムの開発や普及促進等に係る経費・体制強化を盛り込む。その際、日本学術会議とも連携しながら取組を推進」とあります。

「研究倫理教育プログラムの開発の支援」がほとんどを占め、あとは「研究倫理に関する調査研究」です。 日本学術会議の声明「科学者の行動規範について」(2006年10月3日)が出されてから、多くの大学でそれぞれに研究不正への対応がとられてきたと思います。学術会議では、これを改訂して、2013年1月25日に声明「科学者の行動規範ー改訂版ー」を出しました。文科省の取組の「研究倫理教育プログラムの開発」というのは、関係機関でこのような研究倫理を定着させるための方策でしょう。もちろん、研究倫理の教育・研修は欠くことができません。しかし、これだけでは現下の研究不正の防止策にはならないことも確かなことです。

研究不正の防止が科学者の責務であるとして、「日本の科学を考える」サイトでは、真摯に議論されています。こうした取組みの次になすべきことが何であるのか、意見が交わされています。また、日本分子生物学会の「第36回日本分子生物学会・年会企画アンケート」結果には、1022名の(主として生命科学系の)研究者の回答が得られています。選択肢の重複回答の場合は回答総数を母数とした比率ですが、
○ 約7割が「研究不正に対する現行システムは(あまり)対応できないと思う」
○ 約半数が「研究不正の調査に第三者の中立機関が対応するのがよい」
○ 約7割が「研究不正を取り締まる外部中立機関の設置が望ましいと(おおむね)思う」
という結果です。こうした研究現場の声を政策に反映させることも必要でしょう。さらに、
○ 研究不正を減らすために、約半数が「教育が必要」、約3割が「厳罰化が必要」
としていることから、各機関における不正への対応が強く求められているといえるでしょう。

文科省の施策の中にも「研究倫理に関する調査研究」がありますが、すでに学協会等で行われている取組みや議論を参考にして、実効ある学術の公正を目指すべく本質的な議論を深めるべきだと思います。

学術「公正局」について(追記)

前回に書いた学術「公正局」についての追記です。

日本学術会議では2005年8月31日に、当時の黒川清会長のコメントで、「日本学術会議においては、科学者コミュニティを代表する立場から、科学者コミュニティの自立性を高めるために、関係諸機関と連携して、倫理活動を展開するとともに、ミスコンダクト審理裁定のための独立した機関を早い時期に設置することを検討すべきこと」と提言しています。このもとになった委員会報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けてー」は
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1031-8.pdf
にあります。
その後、学術会議で具体的にこの「審理裁定機関」設置の検討が行われたことはないと思います。この間、会員を務めていながら、8年間の不明を恥じる次第です。
この報告では、「日本学術会議内に(あるいはそれに近接して)早い時期 に設置すること」を念頭に、審理裁定機関における調査のための人的資源には(専門性の観点からも)限界があるので、「科学者コミュニティの全面的協力によって充足されよう」としています。
日本学術会議は、事務局では内閣府職員があたりますが、科学者を代表する会員210名は非常勤特別公務員という立場ですので、その中に調査機能をもつ常設機関を置くのは難しく、学術界の協力が必要ということにもなります。しかし、このような第三者機関をどこに置くにしても、対象が特定の個別分野に限られるわけではないので、学術界が積極的に協力できるような体制が必要であることは同じだと思います。

この「公正局」あるいは「審理裁定機関」の業務内容は、以下のようなものでしょう。
○ 研究者およびその研究者の所属する研究機関における公正な研究活動の監視・指導
○ 国の助成によるものに限らず、一般の科学研究における不正(の疑義)の申立てを受理する窓口
○ 研究機関、学協会に対する調査の指示・調整、および審理手続きの監視
○ 調査結果に基づく裁定

研究不正だけでなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を防ぐための実効性のある組織として設置することが期待されます。

学術「公正局」について

最近の「研究不正」に関わる議論の中で、不正に対応するためのシステムとして「公正局」の必要性が議論されています。あるいは、研究上のことだけではなく、学術界や大学界のその他の不正への対応も考える必要があるかも知れません。研究不正の背景には、研究者個人の評価やそれに基づく研究職、大学教員等の人事や雇用に関することも考えられますし、そこには、学位詐称や業績捏造、業績誇称といった不正も問題とされるでしょう。「専門的な見地から」という理由で、社会から距離を置いてきた学術界のさまざまな慣行が問題を複雑にしている面もあると思います。

「公正局」の議論の中では、第三者によって積極的に調査することの必要性が指摘されています。これまで、研究不正に関する対応が、研究者の所属機関に委ねられ、調査とその結果に基づく処置が組織の判断でなされてきたことへの問題提起だといえるでしょう。

「日本の科学を考える」サイトはこれまでにも参照させていただいておりますが、その中でも「研究不正問題3 公正局の立ち上げは可能か、本当に機能するのか?」では、「公正局」の設立について具体的な議論が交わされています。

また、「世界変動展望」サイトでは、「研究不正調査制度の問題点について」、「設置すべきは米国ORIのような機関ではなく、どんな分野も客観的、積極的、強制的に調査できる第三者機関」といった整理がなされています。

論文の不適切な発表については、掲載論文誌の責任による取下げで発見されることがあるでしょう。「Retraction Watch」サイトには次々と報告されています。もちろん、それ以外にも、論文の捏造や重複投稿が発覚して、それが論文の取下げになることもあるでしょう。問題は、むしろ、この後の処置だといえます。わが国で、こうした不正(の可能性)が指摘されたときに、それを調査するのは、その研究者の所属機関ということが多いようです。しかし、上にあげた議論の中では、研究者の所属組織や研究経費の提供機関が他者から指摘された対象事案を事後に調査するには、限界があるのではないかという問題提起がなされているわけです。

独立して積極的に調査する機能を果たせる組織はどこなのか、議論の余地があるでしょう。「公正局」がいかにして公正な判断ができるか、また、その調査機能を有することができるか、そのような法的な裏付けをどのようにするのか、等々。

学術界では、本来の研究活動のあり方として、政治や権力からの独立性を確保すべきであるという基本的な立場があります。このことから、「公正局」を学術界の外に置くことについては、慎重に考えなくてはならないといえるでしょう。しかしながら、中立的で公正で、ときには強制力のある調査機能が求められると、学術界ではどうすればよいのでしょうか。学術界の自律性が問われているといえます。科学者コミュニティを代表する組織としての日本学術会議は内閣府に置かれていますが、「政府から独立して職務を行う特別の機関」です。日本学術会議でこの課題に取り組むことが考えられます。

すでに、「科学者倫理に思うこと」でも触れたように、日本学術会議でも、関連することがらを審議する「科学研究における健全性の向上に関する検討委員会」が作られました。設立の目的は、

委員会は、科学研究における健全性の向上に資することを目的とし、 科学研究における不正行為防止を含む科学者の行動規範の徹底に向けた 対応に関する事項、及び臨床試験における技術的、理論的質向上に関する 事項を含む臨床試験の今後の制度の在り方に関する事項を審議する。

とされていて、かなり限定的です。学術の「公正局」というには距離があります。

研究不正だけではなく、業績誇称などの学術界や大学界における規範に反する行為を学術界で自浄するための取組みはどうすればよいのでしょうか。学術界の外に第三者機関を置かなければできないことなのでしょうか。Academic Integrity の大きな課題といえるでしょう。

研究費に思うこと

「研究不正」にはさまざまな要因がからみあっていますが、研究費との関係もその一つでしょう。研究費の「不正使用」ということが、今でも報道されます。科学者が社会からの信頼をなくする大きな問題だといえるでしょう。論文の捏造や論文数の水増しなどは研究成果に関する不正ですが、研究実施に係る経費はどうなっているのでしょうか。

大学で研究に携わったことを振り返ってみると、研究成果は公表した論文等を通じて、社会の共有知財として活かされることに喜びを感じるものです。その一方で、その研究を実施するにあたっての公的資金の実態を伝えることには、それほど関心をもっていなかったと反省しています。一般的には、研究費はあまり公表しないようです。研究費の原資は分野によってさまざまでしょうが、curiosity-drivenの基礎的な研究では、代表的には科学研究費でしょう。科研費については、「科研費データベース」を通じて、だれでも、特定の研究者の研究経費と成果を知ることができます。私が研究代表者として実施した科研費による研究は17件であることが分かります。

2年半ほど前、2011年3月に大学を退職するときに、研究代表者として研究室での研究に充てた経費の状況を振り返ってみました。「研究室」の大きさは、いわゆる旧小講座程度で、少しの変動はありましたが、おおむね、教授、准教授、助教が各1名で、大学院学生と一緒に研究をするというものでした。そのときに使ったのはスライドのページ「研究費」でした。研究室の教員が共同研究者として実施した経費分を示したものです。もちろん、若手の教員も科研費を獲得していましたので、これだけで研究室の研究費をまかなったというわけではありません。また、大学院の学生には、研究課題を自ら見つけることを勧めていましたので、科研費の課題と異なることもありました。そのときには、別途、研究費を充てることもありました。

科研費に限らず、公的資金への応募に際しては、すべての書類を自分で作りました。それなりの苦労はありましたが、それでも、研究マネージメントに時間がとられる、といった感じはしませんでした。つつましい研究だったといえるでしょうか。

上に示した研究費の状況の中には、文科省の研究プロジェクトe-Societyの経費にも触れていますが、このプロジェクトについては別の機会に書きたいと思います。2006年には、エフォートを考慮して、科研費を申請しなかったと記憶しています。それ以外には、研究費としては、企業等からいただいた寄付金もいくらかありました。大学の公費(運営費交付金)や科研費で海外出張が認められなかった時期には、非常にありがたい資金でした。特定の研究課題の支援経費ではありませんでした。また、当然のこととして、寄付金には利益相反への配慮が必要ですので、管理的職務についてからはその可能性を排除するために、一切の寄付金を受けませんでした。

研究に係る倫理のあり方を考えるにつけ、他者の批判をするだけではなく、自らの行動を振り返ってみることも大事ではないかと思います。公的にその場にある人たちは、積極的に成果と研究費の関係も公表すべきでしょう。

「生涯論文数」について

最近、研究者のさまざまな「不正行為の防止」が科学研究の大きな課題になっています。かなり前に、「科学者の行動規範とAcademic Honesty」という記事を書きましたが、依然としてこのような話題が尽きません。

研究の成果を正確に公表すべき論文を「捏造」するという研究者にとっては信じられないことが起こっています。これとは別ですが、研究費の私的流用という犯罪も話題になっています。論文の捏造には複雑な背景があるといわれることもありますが、研究者の学術界に対する、いや、社会に対するきわめて重大な欺瞞行為に違いはありません。それ以外にも、研究者が論文数を過大に誇示することも問題でしょう。

研究成果を学術界に公開し、学術的な評価を受けたあらたな学術的知見を社会に置くということは、研究者の責務だといえますが、一方で、このように、自らの研究活動の成果が学術的に評価されることは、大きな達成感につながるものといえるでしょう。そのような研究活動の成果を不適切に操作して「よい評価を受けようとする」論文を捏造するという行動は、当然のことながら、研究者にあるまじきことです。論文数を水増ししようとして、同一の成果を複数の論文に仕立てるとか、研究に直接的に関与していないにもかかわらず共著者として名を連ねるといったギフトオーサーシップというのも、研究者としての評価を高めようとする自己中心的な欺瞞でしょう。

そもそも、研究者の不正行為として論文の内容が問われるのは、ピアレビューを通して成果の新規性や有用性が評価された上でのことです。研究内容に通暁していなければ不正が分からないので、社会からは閉じてしまっているのが実情でしょう。

学術論文に関わるこのような「不正行為」とは違った側面ではありますが、気になることがあります。研究者がこれまでに公開した「生涯論文数」というのは、研究分野が違っても成果の評価の度合いが分かりますし、一般社会でも注目しやすいでしょう。個人の経歴や業績に関する情報として、学位や研究活動歴とともに「生涯論文数」が示されると、個人の研究活動の概要が分かります。分野によって成果発表の論文数の相場(?)が違うのは当然のことですが、どの分野においても、「学術論文」は研究者によるピアレビューを経て、その分野で一定の評価を受けて学術論文誌等で公表されたものを指すことは変わらないでしょう。

私は、現在のところ約110編の学術論文を公表しています。決して多くはありません。学術論文として公表した研究成果はすべて、個人のWebサイト (http://takeichimasato.net) で公開しています。

最近は、学術論文に関する情報は、トムソン・ロイター社のWeb of Science の他にも、インターネットを通じていろいろな方法で検索できるので、関連研究の調査も効率的に行うことができるようになってきました。Computer Science (計算機科学) の分野では、WoS からは十分な情報が得られないこともありますが、Google Scholar はかなりの情報が得られると思います。自ら著者名で検索すると、手元で記録している論文がほとんどすべてリストアップされていました。わが国で出版公表された(論文以外も含む)文書等は CiNii から得られます。ちなみに、私の論文等は Google Scholar では 約160件がリストアップされます。その中には、大学の専攻で公表していた Technical Report も入っていますので、これをもとにして学術論文を160編だというと、研究成果の水増しになってしまいます。

最近の話題である元東大教授のK氏については、東大が1990年〜2011年に同氏が関わった165編の論文を調べて、そのうちの43編に対して「撤回が妥当」だと判断したと報じられています。これら以外にもあるのかも知れませんが、20年間の論文数として多いのか、少ないのか、この分野の相場は分かりません。しかし、年間8件程度だというのは参考になります。

数年前から話題になっている元東北大学I氏の発表した論文数は2,000編を越えるといわれています。実態が分かりませんが、学術論文1,000件、2,000件が「生涯論文数」ということだとすると、どのようにして論文を書き、レビューアーとの対応をしたのか、想像もできません。しかし、実際にこうした件数の「生涯論文数」を公表しているものを目にします。

「生涯論文数」は、研究者がこれまでに公表した学術論文数のことですから、当然、本人は知っているはずです。研究者が、自らの経歴に添えて社会に発信するときには、正確に伝えなくてはなりません。今や、Google Scholar などでおおよその目安はつくものです。研究者としての評価を高めようとして、一般社会に向けて論文数を誇大に表示するようなことがあるとすると、それは研究者の資質に関わることといえるでしょう。

日本学術会議 副会長辞任にあたって

2013年4月2日に日本学術会議の副会長を辞任いたしました。辞任にあたって、総会で辞意の表明、および退任の挨拶をいたしました。副会長を1年半、務めました。その間、ご協力いただいた関係者の方々に感謝いたします。

以下に、辞任の申出と退任にあたっての挨拶を引用いたします。

副会長退任にあたって

2013/04/02

副会長辞任の申出

 第22期の折返しの時期にあたって、1年半、務めてきた副会長を辞任させていただきたく、ここにお願い申し上げます。組織運営・科学者間の連携を担当して参りました。会員・連携会員の方々には多大なご協力をいただきました。私自身が、副会長としてなすべきだと考えている任務を果たすことができなくなったことを感じております。

会員のみなさま、関係者にご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただきたいと存じます。

副会長退任にあたって(挨拶)

 副会長退任にあたってひとことご挨拶させていただきます。

第19期の2年間、新生学術会議になって第20期からこれまで7年半、都合9年半、学術会議の会員を務めてきました。副会長の任に就く前にも、事務局の方々のご協力をいただきながら、また、事務局のお手伝いもしながら、会員としてやりがいのあることをしてきたことを思い出します。今後も、会員として力を尽くしたいと考えております。

ここで、先日、配信していただきました「幹事会だより」に添えた最後のメッセージを、再度、お伝えさせていただきます。

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会員・連携会員の方々から、学術会議が社会に十分に知られていないということを聞くことがあります。また、学術会議に関係のある方々からもたびたび指摘されることです。われわれは、学術会議が社会に知られるように努めるべきことはもちろんですが、一方で、地道な活動を継続することも大事だといえます。学術会議で、分野を越えて、また本務の所属組織を越えて学術の課題を議論する機会は貴重なものだと感じています。第22期もちょうど折返しの時です。学術会議の総体はもちろんですが、部や委員会・分科会でも、継続的な活動のために、第23期に備えるよう配慮すべきでしょう。学術のあり方の継続的な議論のなかから社会にも注目される成果が得られることを期待します。

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以上が退任にあたってのメッセージです。

新副会長を得た執行部および幹事会がわれわれ会員・連携会員を代表して今後の学術会議の運営にあたっていただくよう期待いたします。

「高山仰止 景行行止」への道

1年半年ぶりの再開です。

「高山仰止 景行行止」は、「高山は仰ぎ、景行は行く」ということだそうです。

2年前、大学を退職するときに、後輩の同僚から贈られたことばで、詩経にあることばだそうです。「景仰」の語源で、徳の高い人がいれば、誰もが仰ぎ見て敬うことを意味することばになったということです。それを目指したいと思い、ずっと大事にしています。

これまで、「実践躬行を目指して」をキャッチフレーズにしていました。これも自らに課しつつも「高山仰止 景行行止」への道を求めたいと思います。

日本学術会議中部地区会議学術講演会

2011年11月11日の日本学術会議中部地区会議学術講演会会    http://www.shizuoka.ac.jp/public/event/detail.html?CN=891&PG01=us05

に参加しました。2つの講演、ほんとうに楽しみました。活発な地区会議の運営についてもお話しを聞いて、あらためて科学者コミュニティの地域的な広がりを認識しました。講演会で以下のようなご挨拶をさせていただきました。

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中部地区会議挨拶

日本学術会議 副会長 武市正人

2011/11/11

日本学術会議副会長の武市正人でございます。

日本学術会議はわが国の84万人の科学者を代表する機関として、学術の振興に努めています。中部地区会議主催の学術講演会にあたり、ご挨拶かたがた最近の学術と社会の関係について考えていることを申し上げるとともに、日本学術会議のご報告をさせていただきたいと存じます。

最近、考えることは、やはり、3月11日以降の科学や技術のあり方です。日本学術会議は60年少し前の1949年1月に設立されました。大きな意志決定があったのは、初期に、原子力論争から生み出された研究開発の「民主・自主・公開」の三原則だったと歴史が教えてくれます。研究活動全般に通用する原則といえるでしょう。学術会議は、制度的には変革を経ましたが、先輩の方々のさまざまな活動を礎として、わが国の学術のあり方を定着させてきたといえます。新生学術会議においても大きな意志決定が必要とされていると感じています。もちろん、Science for Societyとして社会への発信も大事ですが、発信すべき「声」のあり方も考える必要があるでしょう。その「声」は学術全般に対する見方から出るものだと感じています。学術を謙虚に見たいと思います。その上で、科学者集団として、外部の勢力から独立して学説間の均衡を保つunique voiceをもつことが大事だと考えています。

今年の10月に今後3年間の第22期が発足して一月余り経ちました。大西隆会長の下、東日本大震災復興支援委員会を設置し、その下に3つの分科会「災害に強いまちづくり分科会」、「産業振興・就業支援分科会」、「放射能汚染対策分科会」を立ち上げて活動を始めようとしています。このような活動を通じて科学者の新たな「声」として社会に発信できるように努めたいと思います。

ここで、科学者コミュニティ担当の副会長として、いくつかの視点から、科学者コミュニティについて、お話しさせていただきたいと思います。

日本学術会議の第21期(2008年10月からの3年間)には、総力でとりまとめた「日本の展望」で科学の立場から今後を展望し、同時に、「科学・技術」を定義しました。いろいろと話題になったこともありますが、「科学技術」がScience-based Technologyに解されるので、それをScience and Technologyにすべきだという含みでした。しかし、これは現在のところ、法的に認められるに至っておりません。これからは、むしろ、これを「学術」として捉えるのがよいと考えています。もちろんのこと、「学術」は人文・社会科学分野を含めた「科学・技術」です。日本学術会議は、狭義の科学だけでなく、このような意味の「学術」を包含するアカデミーです。こうしたアカデミーは国際的には少ないのですが、最近はそのようなアカデミーの必要性も指摘されてきています。われわれはその先頭に立って、「学術」による国際社会への貢献を目指して行くべきだと思います。日本学術会議では、こうした、科学者の分野の広がりを認識して、学術の発展に尽くすべきだといえるでしょう。

もう一つは、若手科学者、すなわち学術に関わりをもってから浅い年数の科学者の活動に関わることです。第21期には、「若手アカデミー」の構想を検討しました。第22期には、学術会議の中に若手アカデミー委員会を設置して、若手科学者が自立的に活動する枠組みを作り、第23期には「若手アカデミー」を設置することとしています。先週、11月4日には若手アカデミー委員会を開いて、活動を開始しました。なお、若手科学者とは、大雑把にいって、45歳未満、あるいは学位取得後10年未満といった層です。日本学術会議では、こうした若手科学者の意見を反映させて、アカデミー活動を活性化すべきだと考えています。これが、年齢層の広がりという科学者コミュニティのあり方への対応です。第22期の会員のうちで最若年の方は50歳です。これに対して、連携会員のうちで、若手アカデミーに属すると考えられる方々は10名余りいらっしゃいます。第23期には、60名程度の連携会員からなる若手アカデミーの組織を構成できるように考えています。

科学者コミュニティの広がりの第三の視点は地域性だといえます。わが国では、科学者によらず、さまざまな活動が東京あるいは関東に集中する傾向にありますが、日本学術会議ではこれまでにも地域的に広がりをもつ科学者の連携を推進してきました。中部地区8県に在籍の第22期の会員は16名で、前期よりも1名増、連携会員は148名で前期より6名増となっています。中部地区の活動状況をお聞きして、いっそうの連携を推進すべきであると考えています。

最後になりますが、社会においても課題となっている男女共同参画の視点から日本学術会議の現状を見たいと思います。科学者コミュニティでは、女性科学者が少ないということもあって、男女共同参画は継続してポジティブアクションの対象となっています。日本学術会議においては、会員210名のうちで女性会員は23.3%(49名)です。女性の連携会員は1904名のうちの16.5%(315名)となっています。いずれも、3年前よりも数%の増加で、着実に男女共同参画によるアカデミー活動を進めてきています。

以上、わが国の科学者を代表する日本学術会議における科学者コミュニティへの対応をご報告させていただきました。このような科学者コミュニティの世代や地域の広がりを認識することは、科学者だけではなく、産業界を含めた社会一般の活動にも通じることだといえましょう。科学者コミュニティの広がりが社会にもりかいいただけるように努めたいと考えています。

本日の学術講演会を企画された中部地区会議および科学者懇談会の方々のご尽力に感謝いたしますとともに、ご講演をお聞きする貴重な機会をみなさまと楽しませていただきたいと存じます。

日本学術会議副会長として

 日本学術会議では第22期(2011年10月〜2014年9月)の会長として10月3日の総会で大西隆氏を選出しました。また、10月4日には大西会長から私と小林良彰、春日文子両氏が副会長に指名され、総会で承認されました。以下に副会長就任の挨拶文を掲載いたします。社会における学術の役割に目を向けて、会員の方々をはじめとしてわが国84万人の科学者の連携のもとで努力したいと考えています。

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 このたび、組織運営及び科学者間の連携担当の副会長に就任いたしました。

 現在、社会は科学や技術のあり方に大きな期待をもちつつも、その役割に満足しているとはいえません。日本学術会議は60年余の歴史の中で、制度的な変革を経ましたが、さまざまな活動を礎としてわが国の学術のあり方を定着させ、科学者の大きな意志決定を主導してきました。今日、さらに科学者の大きな意志が必要とされていると感じます。科学者からの社会への発信はもちろんのこと、そこで発信すべき「声」のあり方が大事だといえます。学術全般に関わる科学者のさまざまな見方から出る声を、外部の勢力から独立して意見の相違をも含んだ合意した声として発するよう努めるべきでしょう。このような、科学者の連携による声を社会に発信することが、日本学術会議が代表する科学者の大きな意志の一つだと考えています。

第21期に公表した「日本の展望」では、「科学・技術」を定義しました。これは「学術」といえばよいでしょう。もちろんのこと、学術は、人文・社会科学分野を含めた科学・技術です。狭義の科学だけでなく、学術を担うアカデミーが国際的にも注目されてきていますが、われわれはその先頭に立って、学術による国際社会への貢献を目指して行くべきだと考えます。さらに、こうした学術分野の広がりとともに、科学者の世代の広がりもあります。若い科学者が次世代の学術の担い手として活動できるよう、第21期に構想した「若手アカデミー」の実現に向けて取り組むことも科学者間の連携にとって大事だと考えています。

日本学術会議が果たすべき責任を認識し、会員・連携会員のみなさまのご協力を得て、学術の発展のために力を尽くしたいと思います。