「生涯論文数」について

最近、研究者のさまざまな「不正行為の防止」が科学研究の大きな課題になっています。かなり前に、「科学者の行動規範とAcademic Honesty」という記事を書きましたが、依然としてこのような話題が尽きません。

研究の成果を正確に公表すべき論文を「捏造」するという研究者にとっては信じられないことが起こっています。これとは別ですが、研究費の私的流用という犯罪も話題になっています。論文の捏造には複雑な背景があるといわれることもありますが、研究者の学術界に対する、いや、社会に対するきわめて重大な欺瞞行為に違いはありません。それ以外にも、研究者が論文数を過大に誇示することも問題でしょう。

研究成果を学術界に公開し、学術的な評価を受けたあらたな学術的知見を社会に置くということは、研究者の責務だといえますが、一方で、このように、自らの研究活動の成果が学術的に評価されることは、大きな達成感につながるものといえるでしょう。そのような研究活動の成果を不適切に操作して「よい評価を受けようとする」論文を捏造するという行動は、当然のことながら、研究者にあるまじきことです。論文数を水増ししようとして、同一の成果を複数の論文に仕立てるとか、研究に直接的に関与していないにもかかわらず共著者として名を連ねるといったギフトオーサーシップというのも、研究者としての評価を高めようとする自己中心的な欺瞞でしょう。

そもそも、研究者の不正行為として論文の内容が問われるのは、ピアレビューを通して成果の新規性や有用性が評価された上でのことです。研究内容に通暁していなければ不正が分からないので、社会からは閉じてしまっているのが実情でしょう。

学術論文に関わるこのような「不正行為」とは違った側面ではありますが、気になることがあります。研究者がこれまでに公開した「生涯論文数」というのは、研究分野が違っても成果の評価の度合いが分かりますし、一般社会でも注目しやすいでしょう。個人の経歴や業績に関する情報として、学位や研究活動歴とともに「生涯論文数」が示されると、個人の研究活動の概要が分かります。分野によって成果発表の論文数の相場(?)が違うのは当然のことですが、どの分野においても、「学術論文」は研究者によるピアレビューを経て、その分野で一定の評価を受けて学術論文誌等で公表されたものを指すことは変わらないでしょう。

私は、現在のところ約110編の学術論文を公表しています。決して多くはありません。学術論文として公表した研究成果はすべて、個人のWebサイト (http://takeichimasato.net) で公開しています。

最近は、学術論文に関する情報は、トムソン・ロイター社のWeb of Science の他にも、インターネットを通じていろいろな方法で検索できるので、関連研究の調査も効率的に行うことができるようになってきました。Computer Science (計算機科学) の分野では、WoS からは十分な情報が得られないこともありますが、Google Scholar はかなりの情報が得られると思います。自ら著者名で検索すると、手元で記録している論文がほとんどすべてリストアップされていました。わが国で出版公表された(論文以外も含む)文書等は CiNii から得られます。ちなみに、私の論文等は Google Scholar では 約160件がリストアップされます。その中には、大学の専攻で公表していた Technical Report も入っていますので、これをもとにして学術論文を160編だというと、研究成果の水増しになってしまいます。

最近の話題である元東大教授のK氏については、東大が1990年〜2011年に同氏が関わった165編の論文を調べて、そのうちの43編に対して「撤回が妥当」だと判断したと報じられています。これら以外にもあるのかも知れませんが、20年間の論文数として多いのか、少ないのか、この分野の相場は分かりません。しかし、年間8件程度だというのは参考になります。

数年前から話題になっている元東北大学I氏の発表した論文数は2,000編を越えるといわれています。実態が分かりませんが、学術論文1,000件、2,000件が「生涯論文数」ということだとすると、どのようにして論文を書き、レビューアーとの対応をしたのか、想像もできません。しかし、実際にこうした件数の「生涯論文数」を公表しているものを目にします。

「生涯論文数」は、研究者がこれまでに公表した学術論文数のことですから、当然、本人は知っているはずです。研究者が、自らの経歴に添えて社会に発信するときには、正確に伝えなくてはなりません。今や、Google Scholar などでおおよその目安はつくものです。研究者としての評価を高めようとして、一般社会に向けて論文数を誇大に表示するようなことがあるとすると、それは研究者の資質に関わることといえるでしょう。

3 replies on “「生涯論文数」について”

  1. ちょっと話が違うかもしれませんが、同じ日に別の場所で行われる異なった学会に同じ研究室の別の人間が全く同じ内容の発表をすることは問題ないですよね?修士課程の学生の頃だったとは言えそれが問題ありとなると僕も困ってしまいます。

  2. 学会での発表でも、査読等によって発表論文の選考が行われる場合には、一般に、未発表の新規論文に限られるでしょうから、共同研究者が別の場所で発表するというのも適切ではないといえます。一方で、国内の学会では、発表を希望する会員にその機会を与えることが多く行われています。口頭発表によって、参加者からの意見を聞いて、研究を深めるためのものといえるでしょう。この場合には、発表自体に問題はないといえるのではないでしょうか。しかし、学会等での口頭発表を業績評価の対象とするような場合には、同一の発表を複数の成果として数えるのは誇称ということになるでしょう。業績表では、同一の成果についての発表には、その旨を明記するのがよいと思います。これは、学術(原著)論文の場合も同じです。論文の成果を別の形で(たとえば、招待講演等で)発表したときには、関連する公表について重ねて数えることがないように表示すれば、「論文数の水増し」にはなりません。

    ある学問分野で同じ分野の研究者が論文業績の内容を見て業績を判断するときにはまだしも、異なる分野の研究者や一般社会が研究業績を判断するときには、「論文数」に頼りがちです。大括りにしてさまざまなものを数え上げてしまうと、業績を誇称することになってしまいます。それぞれの分野で、その分野の研究者による査読を経て、新規性や独創性のある研究成果として認められた論文を「学術論文」と呼ぶことはどの分野にも共通しているので、この「論文数」を示すべきでしょう。もちろん、このときには上にあげたようにして、「水増し」にならないようにすべきです。

N.M へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください