「人材」と「人財」

しばらく前から、「人財」ということばを目にすることが多くなりました。Googleで検索すると、かなりの件数があります。もちろん、われわれが長い間、使ってきたのは「人材」です。

「人財」ということばを主張する方々は、おおむね、「人材は人を材料として扱っている」が「人を財産として扱うべきだ」という考えによるもののようです。もちろん、ニュアンスの違いはあるかも知れません。

最近、政府の「科学技術基本政策策定の基本方針(素案)」が示されました。そのなかに、「人財」が現れているのです。「Ⅳ. 我が国の基礎体力の抜本的強化」の中には、「4.科学・技術を担う人財の強化」とあります。それ以外の場所にも、随所に「人財」が現れています。どうしてこのような使い方が一般的になったのでしょうか。

「材」は材料、「財」は財宝ということで、「人を価値のある」ものと捉えるために「人財」を使うべきだとの主張がそれほどまでに受け入れられているのでしょうか。公的で影響力の大きい文書の中で、定着していない(と思われる)語呂合わせによる表記を安易に用いるというのもどういうことでしょうか。もっとも、私自身、国語学を専門とする者ではないので、学術の世界からどのような判断がなされるのか分かりません。また、ことばが時とともに変わってゆくことも知らないわけではありませんので、今がその時期だといわれても驚きませんが、それでも変だと思います。

「材」は「人材」だけに現れるのではありません。「材料」以外に、「才能」としての用法が定着していることを認識すべきではないでしょうか。また、「人財」ということばは「人」と「財」という感じがしなくもありません。さらには、「人」に関して、積極的に金銭的な価値を重視した感じを与えるのも望ましくないでしょう。

このような(語呂合わせのような)ことばを公的な文書に見ると、背中がむず痒くなってきます。参考のために、辞典から「人材」の項を引用しました。ちゃんと、「人の能力」ということが示されているではありませんか。「人財」という用法は見つかりません。

(参考)[広辞苑 第四版]
ざい【材】
#建築などに用いる木。また、原料となるもの。「木―」「―料」「―質」
#用いて役に立つべきもの。「教―」「題―」
#生れつき有する能力。また、それを有する人。「人―」「適―」「国家有用の―」
ざい【財】
(呉音。漢音はサイ)
#価値のあるもの。とみ。たから。所有物。「―を築く」「―産」「―宝」「資―」
「家―」「―布(さいふ)」
#〔経〕人間の物質的・精神的生活に何らかの効用を持っているもの。それを手にい
れるために何らの対価をも必要としないものを自由財(空気、川の水の類)、必要とす
るものを経済財という。
→#―を成す
——–

いかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください