「ハード」と「ソフト」

一時期、計算機(コンピュータ)のハードウェアとソフトウェアを(日本語独特の)省略形で、「ハード」と「ソフト」と呼んでいたことがあります。なんだか、背中がむず痒くなってきます。もとの英語では形容詞、カタカナ書き「日本語」ではこれを名詞として使っています。

ところが、最近では、一般社会でも「ハード」と「ソフト」が使われることが多いように思います。

「ハードウェア(hardware)」ということば自体が、本来は「(木製のものではない)金物」を指していたものが、計算機のハードウェアなどの物理的な装置や機械を表すように変化した、あるいは、転用されたのだし、それに対比して「ソフトウェア(software)」ということばが生まれたのですから、生き物であることばに慣れていないからといって文句をいうのはおかしいかも知れません。

しかし、「ハード」、「ソフト」を名詞として使うのはどうでしょうか。とくに、最近は、一般社会における施設や設備を「ハード」と呼び、規則や制度を「ソフト」ということが多いようです。こうした場面では、ハードウェアやソフトウェアといったことばでは呼ばないのかも知れません。そう表現しようという意図は分からないわけではありません。また、そのように書かれているところを、「ハードウェア」、「ソフトウェア」と置き換えればすっきりするかというと、そうでもない感じです。いつのまにか、定着したのでしょうか。

この間、学術的な論述の中にある「ハード」と「ソフト」を見たとき、さてどうしたものかと悩んだものです。極めつきは、「・・・などの『ソフト学問』に通じた・・・」という表現でした。ここでは、「ソフト」は本来の形容詞でしょうか?なんとなく分からなくもないのですが、日本語で精確な意味を表現できないような、あるいはそうしたくはないような場合に、カタカナ書きで「ハード」や「ソフト」を使っているのではないでしょうか。論述には適当なことばだとは思えません。

また、よく見るカタカナ語に「インフラ」があります。もちろん、「インフラストラクチャ」 (infrastructure) の短縮形(?)ですが、こちらは、infra- が接頭辞として

「下に,下部に (below)」の意 (#→supra‐).[株式会社研究社 新英和・和英中辞典]

とあります。普通に使っている「インフラ」はほとんどの場合、「インフラストラクチャ」ですが、これが長いので面倒になって短縮したのでしょうが、なぜ、「基盤」としないのでしょうか。

ここで、「日本語の乱れ」といったことを論じたのではありません。そうするには体系的な調査や断じるための根拠が必要でしょう。そうではなくて、「なんとなく雰囲気を伝える」カタカナ書きのことばが学術的な場面にも現れてきたことに違和感があることを伝えたいと思ったのです。

いかがでしょうか。

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