知を窃(ぬす)んで地に落とす

まことに残念なことです。いや、大学にいる者として、情けなく思います。それ以上に、責任を感じます。東京大学で学位授与が取り消されるという、重大なことがありました。

昨年の秋から、インターネットを通じて大きな話題になっていたことです。学位授与の取消しは剽窃、英語ではplagiarismによるものです。滅多に見ることばではないのですが、分かりやすくいえば「盗用」でしょうか。まさに、「知を窃(ぬす)む」ことが大学を「地に落とした」ということです。

大学の根幹的な役割の学位授与に瑕疵があったというわけです。社会に対する責任の重さを考えるにつけ、大学人として慚愧に堪えません。誤解を招くおそれがありますが、「こういうことがあるのか」というのが率直な印象です。学術に関わる者として、あらためて学問に対する謙虚さをもたなければいけないと思います。学位授与は大学、大学院のもっとも大事な機能です。社会に対して、学術を修めたことを証するわけですから、信頼できる限られた機関・組織にそれが認められてきたわけです。今後、いろいろな議論もあるでしょう。どうやら、新しい分野への視点をもった「論文」だったということです。学術の世界で新しい分野を拓くことはきわめて大事なことですが、そこに何があってもいいというわけではありません。

所属する研究科の近くにあり、しかも、以前に所属した研究科で起こったこの事態を深く考えることになりました。学内には他にもあるのではないか、といった議論になるでしょう。少なくともわれわれは学位授与に疑念が抱かれることはないと自信をもっています。

「剽窃」というのは程度問題ではないか、といった話も聞きますが、断じてそのようなことはありません。要は、学生の日頃の活動と成果をきちんと見れば分かることです。

こうした話とは別に、一方で学生の研究成果を「断じる」怖さも知らなくてはいけません。博士論文だけでなく、修士論文や卒業論文も同じでしょう。教育的で指導的な立場から、教員が同じテーマで考えることもあります。また、研究室の先輩が行った研究を引き継いで自身の研究にすることもあるでしょう。こうした学生の成果の中に、教員や先輩と一緒に得た成果を書いたときに、それをいきなり「剽窃」ということばで断じるというのは当たらないでしょう。若い人材に傷を負わせます。このような、過度な「剽窃」探しは「魔女狩り」になりかねません。

今回の件は、われわれにとっては本当に大きな課題を突きつけたことだといえます。今、私にはどうしてよいのか分かりません。大学が社会に責任をもち信頼を得るためにどうすべきか問われています。謙虚に考えたいと思います。

2 replies on “知を窃(ぬす)んで地に落とす”

  1. […] 科学者の行動規範 一昨日、東京大学の133年の歴史の中で初めてという学位授与の取消しを聞いて、「知を窃(ぬす)んで地に落とす」と書きました。科学者にとっての規範が問われることは他にもありますが、あらためてその重要性に気づかされました。 […]

  2. […] このたびの質問主意書は、9月26日付け文科省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の中間とりまとめに関するものですが、これについては「文科省の『研究不正に向けた取組』について(追記)」で意見を述べました。また、学位の取消しについては、3年9ヶ月前に「知を窃(ぬす)んで地に落とす」を書いて以来、気になっていたことです。 […]

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