大学における教育研究の質保証について – 設置審査・内部質保証・認証評価

昨年(2017年)の夏から秋にかけて、ある大学(学部)の「設置審査」が話題になって新聞やテレビでも報道されたので、大学関係の方々以外にも「大学(学部)の設置にあたっては文科省の審査がある」ことが共有されたといえるでしょう。

しかしながら、こうした報道の場面では、大学設置審査で認められた大学のその後の教育研究の状況がどのようにチェックされるのか、といったことはほとんど触れられません。それだけでなく、実際、大学の一般の教職員の方々も(もちろん、大学にもよりますが)普段は気にかけることは少ないようです。

設置審査の申請にあたっては、大学や学部・研究科等の設置目的や教育課程の内容、および教員の教育研究業績と担当講義との対応など、組織と個人の詳細な情報を整える必要がありますので、関係者は相当の経験をすることになります。しかし、設置された後のこととなると、設置時の関係者はともかく、その後に着任された方々が積極的な関心をもつことは少ないのかも知れません。むしろ、関心をもたずに研究や教育に携わることができると言った方がよいのかも知れません。多くの大学(学部等)はすでに設置されているわけですから、そこでの教育研究の状況をどのように把握すればよいのか、といった疑問も出てくることでしょう。

最近、大学に問われている大きな課題の一つは、「教育研究の質をどのように保証するのか」ということです。高等教育の政策的な提言等があるたびに「質保証」といったことばで声高に唱えられます。教育研究の「質」ということ自体、議論のあるところではありますが、大学設置の際には大学が申請した目的に照らして一定の「質」を確保できると判断して設置が認可されたのですから、大学が約束したとおりに教育研究が継続的に行われていることを保証することが「(最低限の)質保証」だといえます。

こうした質保証の仕組みは、じつは、制度的にはすでに整えられているのです。もちろん、これで十分ではないといってしまえばそれまでなのですが、それにしても、「大学における教育研究の質保証の全体像」は大学界でも一般社会でも、もう少し共有する必要があるといえるでしょう。一言で言えば、

文部科学省と大学と認証評価機関が連携して教育研究活動の質を保証する

ということです。それぞれの機関が

設置審査と自己評価・点検・改善と認証評価を担う

という役割分担を行っているといえます。

 

我が国では大学の役割及び目的に適う教育の質を保証するために以下の制度が設けられています。

  • 設置認可制度(学校教育法第4条)
  • 認証評価制度(学校教育法第109条第2項)

認証評価制度は2003年の学校教育法の改正により2004年4月に導入されました。この改正を機に、大学の施設設備や教員年齢などについての詳細を規定していた「内規」が廃止され、大学の設置は以前よりも緩和された大学設置基準等の法令に基づいて認可されることとなりました。また、大学が既に授与している学位の種類及び分野を変更しない範囲での新たな学部や学科などの設置については、審査を経ない「届出」で処理されることになりました。一方で、このような設置認可制度の変更に伴い、設置後の大学の教育の質の保証は、原則として大学自らの「自己点検・評価」と「認証評価機関による認証評価」によることになりました。

このように、大学教育の質保証については、制度的には「(緩和された)設置審査による事前規制」と「(新たに導入された)認証評価制度による事後チェック」によることになりましたが、そこでは大学自らの「自己点検・評価」が行われることが前提となっています。

我が国ではこのような制度によって大学教育の質を保証していますが、諸外国でも一般に、大学自らが行う(自己点検・評価を含む)質の改善に向けた組織的な活動を「内部質保証」と呼び、大学の外部からの第三者による「外部質保証」に対比させています。我が国の設置審査や認証評価は外部質保証だといえます。

大学は、このように、第三者の評価を受けながら「質保証」を行っていることを社会にも知らせる必要があるといえるでしょう。もちろん、自らが実施する「内部質保証」によって、よりよい教育研究活動ができるように改善に努めていることも示すこともあるでしょう。これらの「質保証」は個々の学生が身につけた成果を保証するものではありません。しかし、教育の体制等を確認して、個々の学生が学修するための最低限の条件を満たすことを保証しているわけです。さらに、大学の取組としてさらなる向上を目指しているということになります。このような状況を社会でも共有するのが望まれます。

 

 

教育研究活動の質保証に携わって

久しぶりの投稿です。

2018年3月末に大学改革支援・学位授与機構(NIAD-QE)を退職しました。2年前に大学評価・学位授与機構(NIAD-UE)から改組されましたが、その前から7年間、勤めました。そのうちの6年間は研究開発部長を務め、調査研究の統括と教職協働による事業推進にあたりました。最近のことばでは、「教育研究活動の質保証」に携わったということでしょうか。

この独立行政法人に勤めるまでには、39年間、大学に在職しました。専攻はComputer Science (計算機科学)で、とくにソフトウェア構成論や関数プログラミングに関す研究を行いましたが、この数年間はこの分野の研究には手が回らなかった(というよりも、特定の分野によらない仕事に就いていた)といえます。以前には研究面での話題も記事に書いたことがありますが、これからも少しずつ(研究面でのリハビリをしながら)書いてみたいと思います。

さて、NIAD-UE 、NIAD-QEの7年間を振り返ってみますと、大学とは異なる視点を身につけたという感じがしています。大学にいた頃から、日本学術会議会員を務めたり、NIAD-UEの客員教授も務めていましたので、NIAD-UEに着任して学術分野によらない大学評価や学位審査などの業務を推進することも、私にとっては以前からの継続的な活動であったといえます。しかしながら、学術界や大学等、高等教育全般に関わっていたとはいえ、教育研究の質保証に関わる調査研究やそれをもとにした教職協働による事業実施にあたることは刺激的で楽しいことでした。大学の頃には得られなかった多くのことを学びつつ、独法としての事業に携わった経験は私にとって貴重なものでした。

この経験をもとに、大学をはじめとする高等教育における「教育研究活動の質保証」について、大学界だけではなく社会一般にもお伝えした方がよいと感じたことがらについて、いくつかの記事を書くつもりです。

「知の質とは —アカデミック・インテグリティの視点から—」大学質保証フォーラムの開催について

アカデミック・インテグリティ(の一端)については、これまでにもこのBlogに書いたことがあります。2年ほど前に研究不正について議論が行われ始めたときにさらにその前2年半ほど前のことを回顧しながら考えを書きました。

科学者倫理に思うこと

Academic Integrity と Research Integrity

など、さらにはそれ以降の記事の多くも、これに関係する話題が多かったと思います。 Continue reading →

「東大が軍事研究解禁・・・」の報道について

2015年1月16日産経新聞朝刊の第一面に掲載された記事に驚きました。sankei.comのオンラインニュースにも出ています。そこには、

 東大は昭和34年、42年の評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針を確認し、全学部で軍事研究を禁じた。さらに東大と東大職員組合が44年、軍事研究と軍からの援助禁止で合意するなど軍事忌避の体質が続いてきた。

ところが、昨年12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記。軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認した。ただ、「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」と歯止めもかけた。以前は「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」としていた。

とあります。

情報理工学系研究科に4年近く前まで在籍した者にとってはまったく意外なことでした。2004年の国立大学法人化のときに研究科長を3年間務め、法人化に伴う国立大学の変化も見た者が、4年前に離れてその後は足を踏み入れないできた組織で何が起こっているのかと関心を持たざるを得ません。

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論文査読の陥穽

研究論文はピアレビューによってその質が保証されるというのが一般的です。しかし、驚くべきことが起きていました。

SAGE社の出版する雑誌で60本の論文撤回 1人の著者が複数の別名を使って自分の投稿論文を自分で査読

内容がどうのこうのとことではなく、査読をごまかしたというわけです。最近は、投稿論文の査読をオンラインで行うことが多いことから、起きたことだということでしょうか。SAGE社は more than 700 journals and over 800 books を刊行しているとのことです。論文誌ごとに査読者候補のリストを作っているでしょうから、そこに、たくさん偽名で登録をしておいて、自らの論文を「査読」したということでしょう。

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学術界における「抵抗的意見」とは?

ある学術的な組織のある委員会の委員長が審議の経過を報告した公開文書に、

・・・にあたり、それがやや革新的であったためか、多くの抵抗的意見が○○○○○○の中で出された。しかし、本委員会委員の方々の真摯な議論と積極的な支持により、すべてを乗り越えることができた。

との表現を見て、これが科学者コミュニティで議論した総括だというのは、あまりにも残念な気持ちになりました。なにか、最初から決まっていることを結論づけるために、形式的に議論したというだけのことだったのでしょうか。

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自律的な学術公正性の確保に向けて(追記)

最近のSTAP細胞の論文についての調査委員会の中間報告や、その論文の筆頭著者の学位論文のことについてのさまざまな情報を知るにつけ、ますます学術界の現状に、そこに身を置く一人として、大きな責任を感じます。

先日、ある会合で以下のような意見を述べました。とくに今回の件を意識したものではなく、最近、見聞きしていたことからの発言です。

資料には、「次代を担う人材育成をしているのか」、また、「優秀な若手研究者が育ちにくいのではないか」ということが課題とされていますが、若手だけではなく、次の世代を育てるような研究者が育っているのか、ということが問題ではないでしょうか。つまり、研究はしているのかもしれませんが、次の世代を育てるような形で研究しているのかどうか。私は疑問に思います。特に最近の若い方が、「論文」は書けても、議論の場とか、文書をまとめるときに論理的な素養について「えっ」と思うようなことをたびたび経験しています。研究を通じて研究者を育てるという体制がとれているのかどうかということを強く意識すべきだと思います。研究体制そのものに対する欠陥というのがかなり現れてきているのかも知れません。こうした認識を持てるものかどうかも考える必要があるのではないかと思います。

研究に携わる者が一人の独立した研究者として自律的に責任ある行動をとることが前提となって、社会から学術界における研究の自由が認められているといえるでしょう。

半年ほど前から、これに関連する話題としていくつかの意見を書きました。これらは、いわゆる「研究不正」への対応だけではなく、学術界における「誠実さ」をもとにした自律的な公正性の確保が重要ではないかという考えを述べたものです。業績誇称や利益相反なども対象になるでしょう。

これらについては、4年ほど前にも書いたことがありました。

今回にも話題になっているような学位論文の剽窃問題に愕然として考えを書いてから、ずっと気になっていました。加えて、半年前には業績誇称などのことがきっかけで、学術界での自律的な活動の重要性を強く感じたのです。そのときには、今回のSTAP細胞のことなど知る由もありませんでした。

Retraction Watchのサイトに見るわが国の論文の撤回には驚きます。国際的にわが国の学術論文が信頼されなくなることは極めて深刻な事態だといえるでしょう。

研究者は、自ら学問への誠実さによって真理への畏れをもち、「学術公正性」を育むことが大事でしょう。それによって、次代の研究者を育成することができると信じています。

ピアレビューの陥穽

驚きました。いまもなお、といってはなんですが、こういうことは繰り返されるのでしょうか。

国立国会図書館のカレントアウェアネス・ポータルに
「SpringerとIEEE、機械生成されたでたらめな論文120本以上をプラットフォームから削除」という記事が出ています。

2014年2月24日付けのNature誌の記事で、SpringerとIEEEの商用プラットフォームに収録されている会議録論文の中に、機械生成されたでたらめな論文120本以上が含まれていたことが報じられています。現在はこれらの論文は削除されているとのことです。

もとのNature News 2014/02/24 は

Publishers withdraw more than 120 gibberish papers

にあります。

Computer Science 分野の論文生成システム(といってよいのかどうか?)SCIgen – An Automatic CS Paper Generator で生成した論文だということです。冒頭に

Our aim here is to maximize amusement, rather than coherence.

とあるように、まったくのおふざけなのですが、2005年にSCIgenの作成者がある会議に投稿したり、その後も、話題にはなったようです。

20年ほど前だったでしょうか、IEEEと並ぶ、米国の(というより、国際的な)Computer Science の学会 Association for Computing Machinery (ACM) の雑誌の記事として(もちろん、冗談交じりに)出たことがあったように記憶しています。この頃には、人工知能(Artificial Intelligence, AI)の話題であったのでしょうか。SCIgenでは、グラフや表も生成されるようですが、その前にはテキストだけだったと思います。

今回のSCIgen論文が見つかったのは、SCIgenで生成された論文かどうかを判定するシステムによるとされています。SCIgen detection Site というのもあります。2010年頃には、いんちき論文を検出するためのアルゴリズムが発表されています。

学術論文の発行、公表は通常、ピアレビューが行われます。つまり、“同業者”が相互に論文を査読して、新規性や独創性など評価に値することを確認した上で公開するわけです。しかし、この、「専門家に委ねる」というところに落とし穴があることは、たびたび指摘されています。本当に査読ができているのかどうか、ピアレビューというのが機能しているのかどうかということは、論文誌の信用に関わることです。ついうっかり、ということで偽装論文を見過ごしてしまうと、ランダムに生成したという論文までもが掲載されるということも起こりかねません。

1995年には「ソーカル事件」が話題になりました。翻訳版「『知』の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用」の副題にある「科学の濫用」は、学術界が社会に対する責任の危うさを示しているといえるでしょう。

論文の偽造だけではありません。身内で学会を作って論文を公表すれば、論文数を増やすことができるとか、実態のない国際会議をでっちあげて発表を募るといったことも目にします。いずれも、外形はもっともらしいので、疑いをもたない人たちには分からないでしょう。これも、ピアレビューの落とし穴でしょう。

学術の世界、また、科学者が社会から信頼されるためには、自らの誠実さに責任をもたなくてはならないといえます。

学術界における組織的ハラスメントへの怒りについて

最近の報道に見られる学術界の問題には、読者の方々はそれぞれに思いをもっておられることでしょう。頻繁に報じられる「研究不正」についても、研究成果としての論文の捏造、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用 (Plagiarism)という、いわゆる FFP 問題からを超えて、利益相反といったことにも及んでいます。これまでに、「学術公正性」と「研究公正性」、また、学術界での利益相反についても意見を述べました。しかし、学術界においては、さらなる大きな問題が存在していることにも目を向けなくてはいけないと思います。この記事のタイトルを見て、身近に思い当たることがある方もいらっしゃるでしょう。報道されたこともあれば、そうでないものもあり得ます。

以前から、学術界において、いわゆる「権力争い」といった話題はありました。一般社会から見て、閉じた世界での抗争として扱われてきたように思います。決してこれを肯定するわけではないのですが、学問の世界での「流派」とでもいえる抗争があったようにも思われます。ひるがえって、最近は、学術界において、個人を対象とした理不尽ともいえる攻撃的な言動を目にします。それも、たんに個人と個人ではなく、組織の中心にいる一方の(複数の)人がもう一方の個人に対して打撃的な「仕打ち」を施すという、いわば、組織的なハラスメントです。学術界における「権力」というのは、いかにも異様なものですが、組織の中心にいるのが権力だと勘違いしているのか、情報を得たり周りに指示のできる立場を使って、個人を攻撃することさえ目にします。学術的な内容に関する議論ではないのです。こうした組織的なハラスメントの大きな問題は、根拠となる情報が一方に独占されていて、中立的で公正性のある判断がなされないところにあります。ときには、対象とされた個人の人格をも否定するようなことさえ見られます。

2014年の1月に報道された厚生省のJ-ADNIプロジェクトの件でも、2月になって告発した当事者の会見が報道されています。

しかし、なにより残念なことは、組織の中で関係する周りの科学者が、疑問をいだかないのか、意図的に見過ごそうとするのか、自らの問題だと捉えないことです。科学者は、批判的な眼で対象を捉えることから研究を始めることでしょうに、身近にあるこうした現象には他人事として保身に向かうのでしょうか。科学者は公正でなくてはなりません。科学者は社会の中で、そのようなProfessionだとして存在しているのだと思います。自らが所属する組織の中で、理不尽なことがあっても、怒りを感じないことが不思議でなりません。このことにも怒りを覚えます。ほんとうに残念です。

学術界が自律的に公正な科学者コミュニティを形づくるためには、まず、科学者自身の「誠実さ」(academic honesty)が求められるでしょう。なにも、研究者としての入口にいる若い人たちへ論文の捏造などを戒める教育で済ませられることではありません。その人たちに背中を見られている人たちの誠実な言動が大事だと確信しています。

日本学術会議の研究不正の防止策と事後措置に関する提言について

日本学術会議の提言「研究活動における不正の防止策と事後措置 -科学の健全性向上のために-」が2013年12月26日に出されました。文部科学省の取組については以前に触れましたが、今回の学術会議の提言は、研究者側から文科省の施策に応えようとするものなのでしょう。

提言の要旨には、これまでの日本学術会議における十数年の関連した審議や提言等の経緯を述べたあとで、今回の具体的な提言が書かれています。しかし、「・・・を行う」と述べられていますが、その主体がよく分からないし、最後に「・・・が必要である」と結語があるのは、他人ごとのように聞こえます。

要旨には、以下のように提言が述べられています。

これらを踏まえて、第22期科学研究における健全性の向上に関する検討委員会は、本提言「研究活動における不正の防止策と事後措置-科学の健全性向上のために-」で、我が国における世界最先端の科学研究の推進及びその健全化を目指して下記の提言を行うものである。

1. まず、研究不正を事前に防止する方策として、①行動規範教育の普及啓発活動を行うとともに、②行動規範に基づく研修プログラムを作成し、③研究機関における研修プログラムによる行動規範教育の必修化、④競争的資金申請時等における行動規範教育既修の義務化、⑤競争的資金に基づく雇用時の行動規範教育既修の義務化により、上記研修プログラムを普及させ、⑥競争的資金による研究助成に基づく契約時の誓約書提出を求め、⑦さらに、研究機関等に行動規範教育責任者と研究費総括責任者を定め、研究不正をモニタリングする委員会を設置して組織ガバナンスを確立しなければならない。また、⑧上記の遵守を確認するために、研究機関等における行動規範教育を調査し、⑨第三者による検証を可能にするため研究で取得したデータの保存が必要になる。

2. 次に、上記の実施にもかかわらず、研究不正が発生した場合の対応方策として、①当該研究機関において外部有識者を含めた第三者委員会を遅滞なく設置して速やかに処理するとともに、公益通報受付機関を設 置するなどの対応措置を強化する。②また、当該研究機関において十分な対 処が行われない場合には、研究不正に関して設置された第三者機関が、改善措置を勧告する等の対応をとる。③さらに、研究不正事案を公開して再発防止に努めるとともに、研修プログラムの拡充に活かすことが必要である。

本文には、「取締りを強化する」とか、「行動規範教育の必修化」とか、「研究不正に関する公益通報を受ける」といったことばが、乱雑に出てくるように感じました。

以下のようなことも書かれているのですが、どういうことなのか、よく理解できません。国際的な環境下にある学術研究に関して、「研究不正に関する文化の違いがある」という認識はどこからくるのか分かりません。

標準的な研修プログラムを作成する際に、外国における同種プログラムを参考にする一方で、研究不正に関する日本と外国の文化の違いに十分注意し、欧米のプログラムを日本にそのまま機械的に導入することには慎重でなければならない。また、こうした研修プログラムの作成には経費を要することから、国はそのために必要な支援を行うべきである。

断片的な引用だけで判断するのはよくないのでしょうが、全般的に、少々、違和感をおぼえるというのが率直な印象です。

日本学術会議のこれまでの審議や提言等についても触れてるのですが、自ら検討課題としていた「審理裁定機関の設置」についても、明確な判断を示すべきではなかったでしょうか。

それにしても、依然として研究上の不正が頻繁に指摘される状況を考えると、上から目線で制度を提言するだけではなく、その根源的な背景にある学術公正性のあり方にも目を向ける必要があるのではないかと思います。