「審議のアーキテクチャ」について

計算機科学の分野では「アーキテクチャ」というと、直ちに Computer Architecture を思い浮かべます。もちろん、「アーキテクチャ」はそれ以前から建築学で使われている用語です。しかし、このことばはさらにより広い分野、たとえば社会思想の分野でも使われていることを知りました。日本学術会議の審議について、会員のある方との立ち話でこのことばを教わりました。その概念を正確に表すことができないのですが、「組織の構成員が自発的に議論に参画できるようにすることにより、一部の構成員からなる委員会審議よりも本質的な審議をすることができるのではないか」いうことで、審議の構造に関することをこの「アーキテクチャ」ということばで表現してみたのです。もとより、ここでは「アーキテクチャ」の用語を議論しようというのではありません。以下は、新たな「審議のアーキテクチャ」の提案です。

日本学術会議の第165回総会が10月2日〜3日に開かれました。会員210名が参加する半年に1回行われる総会です。自由討議のときに、学術会議の会員・連携会員の約2,200名が利用できるWEB掲示板についての話題を提供しました。この掲示板は1年ほど前から使われています。WEB掲示板には委員会等の委員に閉じたフォーラムと会員等に全面的に公開されているフォーラムがあります。それぞれのフォーラムには、話題ごとに意見交換をするトピックを設定することができるようになっています。記事の掲載はすべて実名で行います。総会で提供した話題というのは次のようなものです。

 日本学術会議は行政機関ではありません。また、特定業務を目的とした独法でもありません。科学者コミュニティを代表する会員が政府から独立して議論できる場です。

会務を円滑に行うために委員会や分科会を置き、幹事会が総会を代理して学術会議の意思を決定する仕組みですが、会員が同等の立場であることから、委員会等での決定は最大限尊重することが慣行となっているといえます。そこには、陳情や利益誘導は忌避すべき活動だといえるでしょう。

こうした学術会議の構成員のあり方を基礎に、会員・連携会員が同等の立場で、委員会等への所属や役職とは無関係に自由に意見を交換して議論することができるように掲示板 SCJ Member Forum を設置しました。また、最近の会員が多忙で会議のために参集することが難しいことも一つの要因だったといえるでしょう。

運用を始めて、1年以上経つのですが、その利用は、必ずしも本来の目的にあったものとはなっていないように思われます。

会員の方々と、掲示板の利用に関してその実績とその活用についての意見交換をしたいと思います。

日本学術会議の会員210名は、人文・社会科学、生命科学、理学・工学という3つの部に分かれて所属しますが、学術の専門分野ごとの振興を図る活動とともに、分野を越えて学術の総体に関わる活動を行うことが職務だといえます。分野別に30の委員会がありますが、それらの下に総計300を越える分科会が設置されています。これらの委員会や分科会は、それぞれの専門分野の委員で構成されているのですが、学術全体に関わる委員会には、各部から委員を選んでいます。会員以外に、2,000名弱の連携会員も参加します。

このような形で行われている委員会の「審議のアーキテクチャ」は、従来の伝統的な会務運営に基づくものですが、果たして、一定数(30名以下)の委員から構成する委員だけで会員の意見を十分に代表できているのでしょうか。決して、委員の方々を批判しているわけではありません。委員を務める方々の代表性の課題の解消とその方の周囲の方々の意見を集約するという負担の軽減という観点からの提案です。学術会議は、会員が同等に意見を述べることのできる組織であり、行政機関のように役職によって構造化されているわけではなく、会務を処理する会長、副会長、部の役員に辞令が出ているわけでもありません。

実際、すでに公表された審議結果の表出に関しても、会員等からのさらなる意見も出されます。委員だけで広く会員の意見を代表するのが難しい場合もあるでしょう。こういうことに対して、新たな審議の形態、すなわち「アーキテクチャ」があるのではないでしょうか。たとえば、このところ話題になっている「学術の公正性」といった議論を行うには、選ばれた少数の「委員」だけではなく、会員等が同じ立場でWEB掲示板で意見を交わす形で審議を行うのがよいのではないかと思います。

このような審議の形態は、構成員が同等に意見を述べあうことを基本とする組織に特徴的なものだといえるでしょう。政府等の委員会で「有識者」として研究者が委員を務める場合とは状況が違います。従来の「委員会」を構成するには多数に過ぎる会員組織における審議を実質的に行うために、WEB掲示板という手段による新たな「審議のアーキテクチャ」を考えてはどうでしょうか。もちろん、掲示板だけでなく、Facebook等の可能性もあるでしょう。

上にあげた学術会議総会での話題提供は、本来ならば、WEB掲示板で行いたいと思ったのですが、なにしろ、そういう議論を掲示板で交わす状況にないので、会員の方々の(半数ほどが出席している場で)意見を聞いたのです。その反応や結果についてはご想像に委ねますが、「審議のアーキテクチャ」という観点を得たことは収穫だと思っています。

自律的な学術公正性の確保に向けて

以前に記事「Academic Integrity と Research Integrity」を書きました。”Academic Integrity” は「学術における誠実さ」ということですが、これを「学術公正性」と呼ぶのはどうでしょうか。”Research Integrity” を「研究公正性」と呼ぶことに対応するものです。繰り返すことになるかも知れませんが、学術公正性について考えてみました。学術界で学術公正性を保証するためには、どのような仕組みが考えられるでしょうか。

研究不正に関わる一つの大きな問題として、研究費の不正使用がとりあげられます。研究上で必要とされる経費の執行には、研究者だけでなく、所属機関の経理担当者も関与していますので、一定のチェック機能が働いているといえるでしょう。それでもなお、責任者である研究者が主導して不正を行うということは、研究とは異なる別の能力の欠如だといえます。そこには、研究機関や大学における研究者の奢りがあるといえるのではないでしょうか。

一方で、論文の捏造といった研究成果の公表に関する不正のチェックには専門性が必要です。論文の内容については、同業者としての研究者が判断することになり、研究者でムラを作っているとその外部からは見えなくなってしまいます。狭い世界で階層的な構造ができて、指導的立場にある研究者の指示によって研究の担当者に不正を不正と感じさせなくしていることもあるでしょうし、そのような言動を見て、代々それを継ぐということもあるのでしょう。こうした構造的な問題は、研究者の世界で解決すべきことです。

研究不正は、研究者が本来の研究以外のことに深い関心をもち、自らの邪な思いをとげようと手を染めてしまった結果だといえるでしょう。しかし、このようなことは、研究に関することだけではないと思われます。以前にも触れましたが、研究者があるポジションに就こうとするときには、自ら業績を提示して評価を受けることが一般的です。最近の記事で「学術公正性(Academic Integrity)」について数回、意見を述べました(「科学者倫理に思うこと」「『生涯論文数』について」)。最近は学歴詐称や学位偽装といった不正は少なくなったようですが、それでもときに指摘があるようです。

業績誇称も学術的な公正性に反することであることは確かでしょう。申告された論文の同一性を判定したり、論文数から業績が水増しされていると判断したりすることは、その分野の研究者でなければできません。外見的なことだけでは分からないので、目が行き届かないというのは、論文の捏造の場合に似ているといえるでしょう。最近の記事や他のサイトでのやりとりが「世界変動展望」サイトの「論文水増しによる業績評価について」で紹介されています。

このようなことから、学術界の誠実さを高めるためには、「研究公正性」にとどまらず、「学術公正性」という見方が望まれるのではないでしょうか。「研究公正局」の設置が検討されるようですが、「不正の取締り・監視」以前に、学術界において「学術公正性」を判断するためのガイドラインを共有して、自律的に公正さを保証する仕組みを検討することから始める必要があるでしょう。

こうした学術公正性を確立するための仕組みの一案です。研究不正にしても業績誇称にしても、対象とされる研究者や機関に対して、研究者の所属する機関における研究実施状況の調査や研究内容に関する専門的な観点からの調査が必要なことから、第一義的には研究機関における調査委員会が担当することになるでしょう。この調査結果を報告書として根拠資料とともに学術界に提示して、第三者による裁定を求めるというのはどうでしょうか。自己点検評価に基づく改善の仕組みのなかに第三者評価を置くという考え方は、大学における内部質保証の基本的な考え方で、学術界における自律的な活動にふさわしいものだといえます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について(追記)

文科省の研究不正の取組については、一月ほど前に「文科省の『研究不正に向けた取組』について」として意見を述べましたが、9月26日に文科省から「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の中間とりまとめが公表されました。そこには、「国による監視と支援」として「『研究公正局(仮称)』のような第三者監視組織の設置などは今後に向けた大きな課題である」と書かれています。以前の記事にも書きましたが、(研究不正だけではなく)学術界の不正に対処する自律的な活動を促し、不正に関して審理裁定を行う機関が必要だと考えていますが、「監視」ということには違和感があります。

学術界の自律的な解決には期待できないということで、第三者が監視するということになるのは、科学者にとって残念なことです。学術界では、社会による監視が求められる前に自らが説明責任を果たすべきだといえるでしょう。

研究成果に関する疑義が指摘されたときに、それを調査することはその分野の研究者でなくてはできません。また、その対象となる研究者の所属機関の協力なしには実情が分かるわけではありません。したがって、現状では、それぞれの研究機関や大学などで調査委員会が調査し、その結果に基づいて、その処置をとるというのが一般的です。しかし、それが適切な処置であるかどうかを学術界で判断する機会がないというのが問題だと思います。学術界での「審理裁定」の機能が必要だといえるでしょう。

Academic Integrity とResearch Integrity

これまでに、「学術『公正局』」ということでいくつかの記事を掲載しました。最近の話題が「研究不正」への対応に向いていることから、また、生命科学分野の議論が活発で、米国のORI(The Office of Research Integrity)が参照されて、「公正局」という表現が使われていたことから、その名称を借りました。しかし、わが国で実効的な組織を考えるときに、米国ORIの機能でよいのかどうか検討が必要だという指摘もあります。このなかで、研究不正だけではなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を対象とする組織を「学術『公正局』」と表しました。

米国では “Academic Integrity” ということばも使われています。「学術上の誠実さ」とでもいえばよいのでしょうか。あるいは、「学術公正性」といってもよいかも知れません。米国にInternational Center for Academic Integrity (ICAI) という組織があり、多くの大学がメンバーになっています。たんに研究だけではなく、大学の学生や教職員、大学役員などすべての構成員に対する誠実性の規定 (Code of Academic  Honesty) とその実施状況の評価の基準などの情報の提供などを行っています。

わが国では、研究面での不正防止のために研究倫理プログラムを開発して普及させるということが計画されていますが、2年半前に「科学者の行動規範とAcademic Honesty」で書いたように、学問に携わる初期に身につける「誠実性」は研究活動における不正行為への健全な意識をもつためにも重要でしょう。たとえば、指導者からの不正行為の強要といったことにどう対応するのか、自らの信念をもつ機会となることが期待されます。大学教育の中でも、たとえば、工学倫理といったかたちで職業上の倫理が扱われてきていますが、大学における学生生活のなかで身につけるべき「誠実性」もその範囲に含まれるでしょう。

研究成果としての論文の捏造、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用 (Plagiarism)という、いわゆる FFP 研究不正は「研究公正性」の問題ですが、その成果を得るための研究費獲得の際には、業績誇称といった「学術公正性」の問題が出てくることがあります。また、FFP研究不正の当事者として、大学教授といった一定の職階の研究者が多いことから、その職を得た過程について問題が指摘されることもあります。経歴や業績を自ら誠実に記載するのは、研究者としての資質に関わることですが、最低限、研究者として歩むときに身につけるべき誠実さだといえるでしょう。

“Academic Integrity is fundamental to everything we do in the academy”  ということばがあります。大学や研究機関における「学術公正性」の周知を深めることを考えるべきだと考えます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について

8月29日に公表された文部科学省の平成26年度概算要求の資料(のp.41から始まるp.50)に「研究不正に向けた取組」の要求が示されています。そこには、「考え方」として、「研究不正の防止に向けて、副大臣を座長とした『研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース』を設置し、これまでの不正事案に対する対応の総括を行うとともに、今後講じるべき具体的な対応策について検討。また、平成26年度概算要求に、研究倫理教育プログラムの開発や普及促進等に係る経費・体制強化を盛り込む。その際、日本学術会議とも連携しながら取組を推進」とあります。

「研究倫理教育プログラムの開発の支援」がほとんどを占め、あとは「研究倫理に関する調査研究」です。 日本学術会議の声明「科学者の行動規範について」(2006年10月3日)が出されてから、多くの大学でそれぞれに研究不正への対応がとられてきたと思います。学術会議では、これを改訂して、2013年1月25日に声明「科学者の行動規範ー改訂版ー」を出しました。文科省の取組の「研究倫理教育プログラムの開発」というのは、関係機関でこのような研究倫理を定着させるための方策でしょう。もちろん、研究倫理の教育・研修は欠くことができません。しかし、これだけでは現下の研究不正の防止策にはならないことも確かなことです。

研究不正の防止が科学者の責務であるとして、「日本の科学を考える」サイトでは、真摯に議論されています。こうした取組みの次になすべきことが何であるのか、意見が交わされています。また、日本分子生物学会の「第36回日本分子生物学会・年会企画アンケート」結果には、1022名の(主として生命科学系の)研究者の回答が得られています。選択肢の重複回答の場合は回答総数を母数とした比率ですが、
○ 約7割が「研究不正に対する現行システムは(あまり)対応できないと思う」
○ 約半数が「研究不正の調査に第三者の中立機関が対応するのがよい」
○ 約7割が「研究不正を取り締まる外部中立機関の設置が望ましいと(おおむね)思う」
という結果です。こうした研究現場の声を政策に反映させることも必要でしょう。さらに、
○ 研究不正を減らすために、約半数が「教育が必要」、約3割が「厳罰化が必要」
としていることから、各機関における不正への対応が強く求められているといえるでしょう。

文科省の施策の中にも「研究倫理に関する調査研究」がありますが、すでに学協会等で行われている取組みや議論を参考にして、実効ある学術の公正を目指すべく本質的な議論を深めるべきだと思います。

学術「公正局」について(追記)

前回に書いた学術「公正局」についての追記です。

日本学術会議では2005年8月31日に、当時の黒川清会長のコメントで、「日本学術会議においては、科学者コミュニティを代表する立場から、科学者コミュニティの自立性を高めるために、関係諸機関と連携して、倫理活動を展開するとともに、ミスコンダクト審理裁定のための独立した機関を早い時期に設置することを検討すべきこと」と提言しています。このもとになった委員会報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けてー」は
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1031-8.pdf
にあります。
その後、学術会議で具体的にこの「審理裁定機関」設置の検討が行われたことはないと思います。この間、会員を務めていながら、8年間の不明を恥じる次第です。
この報告では、「日本学術会議内に(あるいはそれに近接して)早い時期 に設置すること」を念頭に、審理裁定機関における調査のための人的資源には(専門性の観点からも)限界があるので、「科学者コミュニティの全面的協力によって充足されよう」としています。
日本学術会議は、事務局では内閣府職員があたりますが、科学者を代表する会員210名は非常勤特別公務員という立場ですので、その中に調査機能をもつ常設機関を置くのは難しく、学術界の協力が必要ということにもなります。しかし、このような第三者機関をどこに置くにしても、対象が特定の個別分野に限られるわけではないので、学術界が積極的に協力できるような体制が必要であることは同じだと思います。

この「公正局」あるいは「審理裁定機関」の業務内容は、以下のようなものでしょう。
○ 研究者およびその研究者の所属する研究機関における公正な研究活動の監視・指導
○ 国の助成によるものに限らず、一般の科学研究における不正(の疑義)の申立てを受理する窓口
○ 研究機関、学協会に対する調査の指示・調整、および審理手続きの監視
○ 調査結果に基づく裁定

研究不正だけでなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を防ぐための実効性のある組織として設置することが期待されます。

学術「公正局」について

最近の「研究不正」に関わる議論の中で、不正に対応するためのシステムとして「公正局」の必要性が議論されています。あるいは、研究上のことだけではなく、学術界や大学界のその他の不正への対応も考える必要があるかも知れません。研究不正の背景には、研究者個人の評価やそれに基づく研究職、大学教員等の人事や雇用に関することも考えられますし、そこには、学位詐称や業績捏造、業績誇称といった不正も問題とされるでしょう。「専門的な見地から」という理由で、社会から距離を置いてきた学術界のさまざまな慣行が問題を複雑にしている面もあると思います。

「公正局」の議論の中では、第三者によって積極的に調査することの必要性が指摘されています。これまで、研究不正に関する対応が、研究者の所属機関に委ねられ、調査とその結果に基づく処置が組織の判断でなされてきたことへの問題提起だといえるでしょう。

「日本の科学を考える」サイトはこれまでにも参照させていただいておりますが、その中でも「研究不正問題3 公正局の立ち上げは可能か、本当に機能するのか?」では、「公正局」の設立について具体的な議論が交わされています。

また、「世界変動展望」サイトでは、「研究不正調査制度の問題点について」、「設置すべきは米国ORIのような機関ではなく、どんな分野も客観的、積極的、強制的に調査できる第三者機関」といった整理がなされています。

論文の不適切な発表については、掲載論文誌の責任による取下げで発見されることがあるでしょう。「Retraction Watch」サイトには次々と報告されています。もちろん、それ以外にも、論文の捏造や重複投稿が発覚して、それが論文の取下げになることもあるでしょう。問題は、むしろ、この後の処置だといえます。わが国で、こうした不正(の可能性)が指摘されたときに、それを調査するのは、その研究者の所属機関ということが多いようです。しかし、上にあげた議論の中では、研究者の所属組織や研究経費の提供機関が他者から指摘された対象事案を事後に調査するには、限界があるのではないかという問題提起がなされているわけです。

独立して積極的に調査する機能を果たせる組織はどこなのか、議論の余地があるでしょう。「公正局」がいかにして公正な判断ができるか、また、その調査機能を有することができるか、そのような法的な裏付けをどのようにするのか、等々。

学術界では、本来の研究活動のあり方として、政治や権力からの独立性を確保すべきであるという基本的な立場があります。このことから、「公正局」を学術界の外に置くことについては、慎重に考えなくてはならないといえるでしょう。しかしながら、中立的で公正で、ときには強制力のある調査機能が求められると、学術界ではどうすればよいのでしょうか。学術界の自律性が問われているといえます。科学者コミュニティを代表する組織としての日本学術会議は内閣府に置かれていますが、「政府から独立して職務を行う特別の機関」です。日本学術会議でこの課題に取り組むことが考えられます。

すでに、「科学者倫理に思うこと」でも触れたように、日本学術会議でも、関連することがらを審議する「科学研究における健全性の向上に関する検討委員会」が作られました。設立の目的は、

委員会は、科学研究における健全性の向上に資することを目的とし、 科学研究における不正行為防止を含む科学者の行動規範の徹底に向けた 対応に関する事項、及び臨床試験における技術的、理論的質向上に関する 事項を含む臨床試験の今後の制度の在り方に関する事項を審議する。

とされていて、かなり限定的です。学術の「公正局」というには距離があります。

研究不正だけではなく、業績誇称などの学術界や大学界における規範に反する行為を学術界で自浄するための取組みはどうすればよいのでしょうか。学術界の外に第三者機関を置かなければできないことなのでしょうか。Academic Integrity の大きな課題といえるでしょう。

研究費に思うこと

「研究不正」にはさまざまな要因がからみあっていますが、研究費との関係もその一つでしょう。研究費の「不正使用」ということが、今でも報道されます。科学者が社会からの信頼をなくする大きな問題だといえるでしょう。論文の捏造や論文数の水増しなどは研究成果に関する不正ですが、研究実施に係る経費はどうなっているのでしょうか。

大学で研究に携わったことを振り返ってみると、研究成果は公表した論文等を通じて、社会の共有知財として活かされることに喜びを感じるものです。その一方で、その研究を実施するにあたっての公的資金の実態を伝えることには、それほど関心をもっていなかったと反省しています。一般的には、研究費はあまり公表しないようです。研究費の原資は分野によってさまざまでしょうが、curiosity-drivenの基礎的な研究では、代表的には科学研究費でしょう。科研費については、「科研費データベース」を通じて、だれでも、特定の研究者の研究経費と成果を知ることができます。私が研究代表者として実施した科研費による研究は17件であることが分かります。

2年半ほど前、2011年3月に大学を退職するときに、研究代表者として研究室での研究に充てた経費の状況を振り返ってみました。「研究室」の大きさは、いわゆる旧小講座程度で、少しの変動はありましたが、おおむね、教授、准教授、助教が各1名で、大学院学生と一緒に研究をするというものでした。そのときに使ったのはスライドのページ「研究費」でした。研究室の教員が共同研究者として実施した経費分を示したものです。もちろん、若手の教員も科研費を獲得していましたので、これだけで研究室の研究費をまかなったというわけではありません。また、大学院の学生には、研究課題を自ら見つけることを勧めていましたので、科研費の課題と異なることもありました。そのときには、別途、研究費を充てることもありました。

科研費に限らず、公的資金への応募に際しては、すべての書類を自分で作りました。それなりの苦労はありましたが、それでも、研究マネージメントに時間がとられる、といった感じはしませんでした。つつましい研究だったといえるでしょうか。

上に示した研究費の状況の中には、文科省の研究プロジェクトe-Societyの経費にも触れていますが、このプロジェクトについては別の機会に書きたいと思います。2006年には、エフォートを考慮して、科研費を申請しなかったと記憶しています。それ以外には、研究費としては、企業等からいただいた寄付金もいくらかありました。大学の公費(運営費交付金)や科研費で海外出張が認められなかった時期には、非常にありがたい資金でした。特定の研究課題の支援経費ではありませんでした。また、当然のこととして、寄付金には利益相反への配慮が必要ですので、管理的職務についてからはその可能性を排除するために、一切の寄付金を受けませんでした。

研究に係る倫理のあり方を考えるにつけ、他者の批判をするだけではなく、自らの行動を振り返ってみることも大事ではないかと思います。公的にその場にある人たちは、積極的に成果と研究費の関係も公表すべきでしょう。

「生涯論文数」について

最近、研究者のさまざまな「不正行為の防止」が科学研究の大きな課題になっています。かなり前に、「科学者の行動規範とAcademic Honesty」という記事を書きましたが、依然としてこのような話題が尽きません。

研究の成果を正確に公表すべき論文を「捏造」するという研究者にとっては信じられないことが起こっています。これとは別ですが、研究費の私的流用という犯罪も話題になっています。論文の捏造には複雑な背景があるといわれることもありますが、研究者の学術界に対する、いや、社会に対するきわめて重大な欺瞞行為に違いはありません。それ以外にも、研究者が論文数を過大に誇示することも問題でしょう。

研究成果を学術界に公開し、学術的な評価を受けたあらたな学術的知見を社会に置くということは、研究者の責務だといえますが、一方で、このように、自らの研究活動の成果が学術的に評価されることは、大きな達成感につながるものといえるでしょう。そのような研究活動の成果を不適切に操作して「よい評価を受けようとする」論文を捏造するという行動は、当然のことながら、研究者にあるまじきことです。論文数を水増ししようとして、同一の成果を複数の論文に仕立てるとか、研究に直接的に関与していないにもかかわらず共著者として名を連ねるといったギフトオーサーシップというのも、研究者としての評価を高めようとする自己中心的な欺瞞でしょう。

そもそも、研究者の不正行為として論文の内容が問われるのは、ピアレビューを通して成果の新規性や有用性が評価された上でのことです。研究内容に通暁していなければ不正が分からないので、社会からは閉じてしまっているのが実情でしょう。

学術論文に関わるこのような「不正行為」とは違った側面ではありますが、気になることがあります。研究者がこれまでに公開した「生涯論文数」というのは、研究分野が違っても成果の評価の度合いが分かりますし、一般社会でも注目しやすいでしょう。個人の経歴や業績に関する情報として、学位や研究活動歴とともに「生涯論文数」が示されると、個人の研究活動の概要が分かります。分野によって成果発表の論文数の相場(?)が違うのは当然のことですが、どの分野においても、「学術論文」は研究者によるピアレビューを経て、その分野で一定の評価を受けて学術論文誌等で公表されたものを指すことは変わらないでしょう。

私は、現在のところ約110編の学術論文を公表しています。決して多くはありません。学術論文として公表した研究成果はすべて、個人のWebサイト (http://takeichimasato.net) で公開しています。

最近は、学術論文に関する情報は、トムソン・ロイター社のWeb of Science の他にも、インターネットを通じていろいろな方法で検索できるので、関連研究の調査も効率的に行うことができるようになってきました。Computer Science (計算機科学) の分野では、WoS からは十分な情報が得られないこともありますが、Google Scholar はかなりの情報が得られると思います。自ら著者名で検索すると、手元で記録している論文がほとんどすべてリストアップされていました。わが国で出版公表された(論文以外も含む)文書等は CiNii から得られます。ちなみに、私の論文等は Google Scholar では 約160件がリストアップされます。その中には、大学の専攻で公表していた Technical Report も入っていますので、これをもとにして学術論文を160編だというと、研究成果の水増しになってしまいます。

最近の話題である元東大教授のK氏については、東大が1990年〜2011年に同氏が関わった165編の論文を調べて、そのうちの43編に対して「撤回が妥当」だと判断したと報じられています。これら以外にもあるのかも知れませんが、20年間の論文数として多いのか、少ないのか、この分野の相場は分かりません。しかし、年間8件程度だというのは参考になります。

数年前から話題になっている元東北大学I氏の発表した論文数は2,000編を越えるといわれています。実態が分かりませんが、学術論文1,000件、2,000件が「生涯論文数」ということだとすると、どのようにして論文を書き、レビューアーとの対応をしたのか、想像もできません。しかし、実際にこうした件数の「生涯論文数」を公表しているものを目にします。

「生涯論文数」は、研究者がこれまでに公表した学術論文数のことですから、当然、本人は知っているはずです。研究者が、自らの経歴に添えて社会に発信するときには、正確に伝えなくてはなりません。今や、Google Scholar などでおおよその目安はつくものです。研究者としての評価を高めようとして、一般社会に向けて論文数を誇大に表示するようなことがあるとすると、それは研究者の資質に関わることといえるでしょう。

日本学術会議 副会長辞任にあたって

2013年4月2日に日本学術会議の副会長を辞任いたしました。辞任にあたって、総会で辞意の表明、および退任の挨拶をいたしました。副会長を1年半、務めました。その間、ご協力いただいた関係者の方々に感謝いたします。

以下に、辞任の申出と退任にあたっての挨拶を引用いたします。

副会長退任にあたって

2013/04/02

副会長辞任の申出

 第22期の折返しの時期にあたって、1年半、務めてきた副会長を辞任させていただきたく、ここにお願い申し上げます。組織運営・科学者間の連携を担当して参りました。会員・連携会員の方々には多大なご協力をいただきました。私自身が、副会長としてなすべきだと考えている任務を果たすことができなくなったことを感じております。

会員のみなさま、関係者にご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただきたいと存じます。

副会長退任にあたって(挨拶)

 副会長退任にあたってひとことご挨拶させていただきます。

第19期の2年間、新生学術会議になって第20期からこれまで7年半、都合9年半、学術会議の会員を務めてきました。副会長の任に就く前にも、事務局の方々のご協力をいただきながら、また、事務局のお手伝いもしながら、会員としてやりがいのあることをしてきたことを思い出します。今後も、会員として力を尽くしたいと考えております。

ここで、先日、配信していただきました「幹事会だより」に添えた最後のメッセージを、再度、お伝えさせていただきます。

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会員・連携会員の方々から、学術会議が社会に十分に知られていないということを聞くことがあります。また、学術会議に関係のある方々からもたびたび指摘されることです。われわれは、学術会議が社会に知られるように努めるべきことはもちろんですが、一方で、地道な活動を継続することも大事だといえます。学術会議で、分野を越えて、また本務の所属組織を越えて学術の課題を議論する機会は貴重なものだと感じています。第22期もちょうど折返しの時です。学術会議の総体はもちろんですが、部や委員会・分科会でも、継続的な活動のために、第23期に備えるよう配慮すべきでしょう。学術のあり方の継続的な議論のなかから社会にも注目される成果が得られることを期待します。

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以上が退任にあたってのメッセージです。

新副会長を得た執行部および幹事会がわれわれ会員・連携会員を代表して今後の学術会議の運営にあたっていただくよう期待いたします。