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科学者の行動規範とAcademic Honesty

一昨日、東京大学の133年の歴史の中で初めてという学位授与の取消しを聞いて、「知を窃(ぬす)んで地に落とす」と書きました。科学者にとっての規範が問われることは他にもありますが、あらためてその重要性に気づかされました。

日本学術会議では、2006年10月3日に声明「科学者の行動規範について」を出しています。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-s3.pdf

科学者として自ら律することを明確に述べたものです。

各大学、各機関にもそれぞれ規範があるでしょう。東京大学には

http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/res/res4/kihan/kihan.pdf

があります。

今回の学位授与に関わる問題は、科学者としての第一歩を踏み出そうとする、あるいは踏み出したばかりの大学院学生の行動に係るものです。もちろん、博士論文の執筆の指導における科学者としての行動も問われます。

大学院学生の行動規範というのはあるのでしょうか。昨年、今回の件がインターネット上で話題になったときに、ある方から問われました。私の知る限りにおいて、大学や研究科にはそういった文書がありませんでした。一方で、その方からは、外国の大学で大学院学生やその募集に向けて公表しているWEBページを教えていただきました。

http://www.grad.uottawa.ca/default.aspx?tabid=1378

私の研究分野である Computer Science を対象としているコロンビア大学の専攻のページも教わりました。

http://www.cs.columbia.edu/education/honesty

他大学でも使われているようですが、”Academic Honesty”ということばが新鮮で入りやすいのではないか、とのコメントもいただきました。まさに、そうだと思います。学生がレポートを作成するときの心得も書かれています。

科学者がもたなくてはならない倫理は、ややもすると観念的に捉えがちですが、先輩が若い科学を目指す者へ伝えるべき大事なことといえます。具体的な研究成果だけが科学者を育てるのではないということを認識すべきでしょう。

本末転倒?

今日は日本学術会議で情報学シンポジウムを開きました。

http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/86-s-3-4.pdf

その前、午前中には情報学委員会と各分科会の合同会合をもち、さらに7つの分科会が開かれました。昨日、別の学内の会合の場でも話題になったことが、今日もまた話に出ました。「研究費と成果」の関係、目的と手段が逆転しているのではないかという懸念です。

昨日は、若い研究者と話した中で、研究費を手に入れる悩みを聞きました。大学の基盤的経費で十分に研究できるにこしたことはありませんが、そうはいかないのが現状です。大学における curiosity-driven 研究には科学研究費を得るのが基本です。分野によって、また研究費の額にもよるのですが、新規課題の申請件数に対する採択件数を見ると、平成21年度は24.9%でした。

http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/index.html

複数年の計画の課題については、一度、採択されると数年の研究は継続できますが、新規採択が1/4ということですから、科研費による研究費が途切れることはもちろん起こります。では、どうするのでしょうか。

研究者個人ではなく、共同で研究費を得る(研究代表者の共同研究者になる)こともその一つの対策でしょう。しかし、萌芽的な curiosity に基づく研究目的を共有することは常ではないでしょう。では、どうすればよいのでしょうか。他の研究費を得る途を考えることになります。産学連携も考えられるでしょうし、別のFunding Agency のプログラムに応募することも一般的でしょう。

問題は、そのような研究費を獲得することと、本来の研究のことです。研究費を獲得するための努力がなければ、本来の研究を進めることはできません。これが、施策による競争的資金による研究促進の目的でしょう。語弊があるかも知れませんが、「エサで釣る」わけです。このようにして獲得した研究費によって得られた公表論文や実験機器の試作品は、その研究費による成果です。

研究費がこのような使われるには問題ないでしょう。いえ、本来の競争的研究資金のあり方そのものです。しかし、ときにして、あるいは、往々にして、研究成果がないと次の研究資金が得られない、ということも起こります。科研費を初め、競争的資金は3-5年の年限があります。次の研究費のためには、実績を作らなくてはなりません。このときに、論文を何のために書くのか、公表するのかという話になります。これまでの論文がなければ、次の研究費が得られない、といった現実から、少々、無理にでも論文発表をすることになることが、「本末転倒」ではないかと思うのです。

若い研究者が(もっとも、これは年齢によるわけでもないのですが)、多くの時間を使って研究のための経費を工面しなければならない、しかも、それでも経費が得られないという現実は、自由に若い発想を大事にしようという考え方に反しています。それにも増して、それを理由に、「次期研究費のために論文を書く」という暗黙の理解がなされることに危惧を抱きます。

とくに、若い研究者に、このような「本末転倒」が生じないように研究費の「つなぎ」ができるような、セーフティネットを作ることが大事でしょう。研究スタイルは、研究生活の初期に得た経験が大きいと思います。本来の研究が先にあって、その成果を社会に還元するという研究スタイルを次代の研究者に提示することがきわめて大事だと考えます。

知を窃(ぬす)んで地に落とす

まことに残念なことです。いや、大学にいる者として、情けなく思います。それ以上に、責任を感じます。東京大学で学位授与が取り消されるという、重大なことがありました。

昨年の秋から、インターネットを通じて大きな話題になっていたことです。学位授与の取消しは剽窃、英語ではplagiarismによるものです。滅多に見ることばではないのですが、分かりやすくいえば「盗用」でしょうか。まさに、「知を窃(ぬす)む」ことが大学を「地に落とした」ということです。

大学の根幹的な役割の学位授与に瑕疵があったというわけです。社会に対する責任の重さを考えるにつけ、大学人として慚愧に堪えません。誤解を招くおそれがありますが、「こういうことがあるのか」というのが率直な印象です。学術に関わる者として、あらためて学問に対する謙虚さをもたなければいけないと思います。学位授与は大学、大学院のもっとも大事な機能です。社会に対して、学術を修めたことを証するわけですから、信頼できる限られた機関・組織にそれが認められてきたわけです。今後、いろいろな議論もあるでしょう。どうやら、新しい分野への視点をもった「論文」だったということです。学術の世界で新しい分野を拓くことはきわめて大事なことですが、そこに何があってもいいというわけではありません。

所属する研究科の近くにあり、しかも、以前に所属した研究科で起こったこの事態を深く考えることになりました。学内には他にもあるのではないか、といった議論になるでしょう。少なくともわれわれは学位授与に疑念が抱かれることはないと自信をもっています。

「剽窃」というのは程度問題ではないか、といった話も聞きますが、断じてそのようなことはありません。要は、学生の日頃の活動と成果をきちんと見れば分かることです。

こうした話とは別に、一方で学生の研究成果を「断じる」怖さも知らなくてはいけません。博士論文だけでなく、修士論文や卒業論文も同じでしょう。教育的で指導的な立場から、教員が同じテーマで考えることもあります。また、研究室の先輩が行った研究を引き継いで自身の研究にすることもあるでしょう。こうした学生の成果の中に、教員や先輩と一緒に得た成果を書いたときに、それをいきなり「剽窃」ということばで断じるというのは当たらないでしょう。若い人材に傷を負わせます。このような、過度な「剽窃」探しは「魔女狩り」になりかねません。

今回の件は、われわれにとっては本当に大きな課題を突きつけたことだといえます。今、私にはどうしてよいのか分かりません。大学が社会に責任をもち信頼を得るためにどうすべきか問われています。謙虚に考えたいと思います。

若手アカデミーとは?

今日は、大阪で開催された日本学術会議公開シンポジウム「若手アカデミーとは何か」

http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/90-s-1.pdf

に参加しました。この案内にあるように、ドイツ、オランダ、オーストリアではそれぞれの国で若手アカデミーが組織されて、活発に活動しているということです。また、ヨーロッパの40ヶ国のアカデミーの連合体ALLEA(All Europian Academies)でも、全欧で若手アカデミーを設立しようとしています。シンポジウムでは、ALLEA事務局長の講演がありました。さらに、2月にはベルリンで全世界的な若手アカデミーの設立準備の会合がありました。そこに出席した4名の若手研究者から詳しい報告がありました。

さて、「若手」は何歳でしょう?おおよそ、平均が35歳だということです。「アカデミー」の理念とは何でしょう?私は、わが国では日本学術会議の理念がそのままあてはまると思っています。実際、若手の方々の報告であがっていた目的はまさに学術会議の目指していることでした。

では、なぜ「若手アカデミー」なのでしょうか。わが国だけではなく、おそらく、他の国でも、アカデミーのメンバーは科学者・研究者の年輩層が占めていることの現れだと思います。大雑把に言って、25歳から40歳までの若手の科学者は、25〜70歳の科学者の1/3を占めるでしょうが、40歳以下の学術会議の会員は皆無です。

話が逸れますが、大学教員の職位は学校教育法によって決まっています。2007年4月に改定されて、職位は助手・助教授・教授から助教・准教授・教授に変わりました。この改定に伴う議論の中で、「若手研究者の自立性・自律性向上」が謳われ、「教授が白を黒と言えば、助手は何であれ『黒』と言う」だとか、「若手の研究に教授が口出しをして、若手は思ったように研究ができない」といった悪例を解消すべきである、といったことが話題になりました。正直なところ、「へぇ、今どき、そういう研究室もあるのか」と疑問に思ったものです。ないとはいえないでしょうが、どの程度でしょうか?データはあるのでしょうか?科学者はデータが基本であると言いながら、行政的な判断に与するときには、自らの経験や多勢の言動に惑わされる恐れがあります。年輩の老練の士は若手のことをおもんぱかって、よかれと思うことを断定的に言うのでしょうが、若手の方々はどう感じているのでしょうか。「助教」の若手科学者はこの職位の改定をどう思ったのでしょうか。

「老練アカデミー」でも、とくに、人材育成に関わる議論の中では若手のことを考えて、よかれと思う提案をしています。若手の方々の意見を聞いて判断しているのですが、それも老練者の考えの中でやっていることです。「聞いてやる」ということではないでしょうが、若手の方々の自律的な行動から示される意見とは違うのかも知れません。老練アカデミーの活動を批判的で建設的な目で見つつ、同じ課題に対して自律的に活動する「若手アカデミー」があれば、老練アカデミーの活動のチェック機構になるでしょう。科学には謙虚でなくてはなりません。科学者からなるアカデミーの活動でもそうでしょう。老練科学者には批判を活力に向ける智慧があるものと信じています。

学術会議に関する朝日新聞社説について

学術会議会員として、朝日新聞の社説(2010/02/15)「今こそ社会の知恵袋に」に考えさせられるところがありました。

http://www.asahi.com/paper/editorial20100215.html

http://blog.goo.ne.jp/freddie19/e/d5fd634c65e0089cdb4591d8ff136c65

学術界から社会が直面する問題に積極的に発信することが大事であるという社説の主張はもっともなことですが、そこで取り上げられている事例はいずれも短期的に解決が求められている「社会問題」といえるでしょう。

学術会議では、現在、「日本の展望」として学術界からの提言をまとめています。私も、テーマ別に検討を行う「情報社会分科会」の委員長として、「安全で安心できる持続的な情報社会に向けて」をとりまとめたところです。そこでは、わが国の社会の現状を分析して課題を明確にし、それに向けた方策を提言しています。このような提言を行うにあたって、1年半の審議を行いました。さらに、現在、査読意見をもとに改訂した提言(の最終版)を公表するための審議を行うところで、提言書は4月に公表される見込みです。

学術会議が短期的に解決が求められる課題に対して即効性のある解決策を提言するには難しい面があるといえます。会員210名は全員が非常勤公務員として任命されています。そこで、特定の課題のための会議が開催されるときに集まって審議するということになります。本務の職務との関係で出席できないこともありますので、審議が遅れがちになってしまいます。もっとも、議論の内容が決まっている場合には、各委員が検討してメール等で意見の交換を行うこともありますが、それでもこのような手段では「同時に議論する」ことによる密度の高い議論には及びません。

学術会議の会員210名と連携会員約2000名は国内各地に在住しています。それぞれの本務で多忙な日常の中で、社会が直面する問題に迅速に対応するために、頻繁にまる一日をかけて東京に出張してくることは難しいでしょう。学術会議には「IT環境整備推進委員会」が設置され、私が委員長を務めています。そこでは、ビデオ会議等の活用の可能性も検討しています。その検討自体が標準的な審議スケジュールになっているという感が拭えませんが、会員の中からも要望が強いことですので、できるだけ早い時期に実施できるようにしたいと考えています。

学術会議の会員の「社会が直面する問題に対する積極的な取り組み」への意識は高いと思います。それを組織的な活動に移すことができるように、ITの活用を含めた議論、審議の体制、あるいは基盤整備を進めることも大事だといえるでしょう。