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研究者の兼業・兼職について

大学等に所属する研究者は、ときに、外部の組織から依頼を受けて、審議会や委員会の委員に就くことがあります。また、大学の非常勤講師といった形で教育に携わる兼職をすることもあるでしょう。日本学術会議の会員は非常勤の国家公務員として発令されますが、あくまでも個人としての立場で任命されるものです。一般に、研究者が外部の組織の委員として委嘱されるときにはそれぞれの専門的な見解を述べることが期待されていて、自らが所属する組織とは独立の立場であるといえるでしょう。

大学等においては、教員等がそのような審議会や委員会、あるいは日本学術会議の会員等に委嘱を受けたときには、その活動が本務にとって有用だと判断される場合には、一定の条件の下で「兼業」、あるいは「兼職」として認めることにしています。あくまでも、本務に影響がない範囲内での活動です。大学教員には、一般に、他大学等の非常勤講師の依頼もありますが、これも同じです。

このように委嘱される研究者の兼業先では、あくまでも個人の見識のもとで意見を表明するのが基本です。所属する組織を代表して意見を述べる立場にはありませんし、むしろ、職務上の立場を反映させた意見を述べることは兼業・兼職として許可できないでしょう。日本学術会議でも、会員として意見を表明することは、あくまでも個人の責任の下で行うべきことであり、決して組織を代表するものではありません。

兼業・兼職として務めるときに、本務や所属組織の意見を反映させようというのはおかしいことです。組織の役職にある者はとくに留意すべきでしょう。当然のことながら、このことは分かっているはずですが、ときにそうでもないことに出会います。また、場合によっては、「人格は一つだから」ということで、本務や兼業において見境のない行動をとるようなこともときに見受けられます。このようなことは、いずれも、学術界における利益相反にもつながりかねません。学術界では気づかないのか、あるいは、あえてそういう指摘を避けようとしているのか分かりません。当事者は自らの意見表明の責任を組織に転嫁することにしているかも知れませんし、結果的に兼務によって所属組織に利便を図ることになるかも知れません。兼務・兼職にあたっては、このようなことがないように厳に戒めるべきだといえます。

Blogでの意見の表明も同じです。所属する本務先や日本学術会議の意見を代表するものではありません。プロフィールには表示していない審議会や委員会の委嘱も受けておりますが、そこでも、個人としての意見の表明をしています。

研究者情報の公表と活用について

大学や研究機関に在籍する研究者は自らの研究成果を論文などで公表していますが、その情報はどのように公開されているでしょうか。論文誌に掲載される論文は、その分野の研究者は論文誌を見て知ることができるでしょうが、それでも、論文誌は数多く存在しますので、網羅的に見ることは難しいでしょう。また、少しでも分野が違う研究者にとっては、研究成果はなかなか分からないものです。一般に、研究者が公的な立場で研究を行っていることを考えれば、研究者自らがその研究成果などを社会に向けて公表すべきではないでしょうか。研究者情報の公表は、学術界における自律的な学術公正性の確保にとっても有用だといえるでしょう。今回は、研究者に関わる情報を自ら公表するとともにそれを活用することを考えてはどうかという提案です。

学校教育法施行規則等の一部を改正する省令(平成22年文部科学省令第15号)が平成22年6月15日に公布され、平成23年4月1日から施行されました。この改正の趣旨は、「大学等が公的な教育機関として、社会に対する説明責任を果たすとともに、その教育の質を向上させる観点から、公表すべき情報を法令上明確にし、教育情報の一層の公表を促進する」こととされています。この省令は、各大学が9項目についての情報を自主的に公表することを求めています。

そのなかで、教員に関わる情報の公表については、以下のように示されていて、各大学は「各教員が有する学位及び業績」を公表することになっています。

【3】 教員組織,教員の数並びに各教員が有する学位及び業績に関すること。(第3号関係)

その際,教員組織に関する情報については、・・・に留意すること。

教員の数については、・・・に留意すること。

各教員の業績については、研究業績等にとどまらず、各教員の多様な業績を積極的に明らかにすることにより,教育上の能力に関する事項や職務上の実績に関する事項など,当該教員の専門性と提供できる教育内容に関することを確認できるという点に留意すること。

読者の方々はこういう状況をご存知でしたでしょうか。すべての大学は教員に関する情報を公表しているのです。

各大学での対応はさまざまです。在籍の教員の学位や経歴、研究業績、学内での活動状況、担当の教育科目等を一覧にして公表していることが多いようです。大学でこのような情報をとりまとめるにあたって、研究業績以外の情報は人事記録等から得られるでしょうが、研究業績については、各教員が情報を提供するしかありません。

大学教員や研究機関の研究者は自らの研究業績はなんらかの形で記録しているでしょう。職を得るにしても、競争的研究資金を得るにしても、経歴等とともに研究業績や教育上の業績などが求められるからです。教員は自分の記録をもとにして、上にあげたように組織の求めに応じて、また、科学研究費等の公募への申請の際には、それぞれの様式に変換して提出することになります。

研究業績にあげる成果物は、一般的には学術論文や会議録等で公表されている著作物でしょうから、その一覧表を様式に従って記載することになりますが、どれが原著の学術論文であり、どれがピアレビューを経て公開されたものであるのか、研究成果として評価すべきものだということは研究者が自らの判断で示さなくてはなりません。そこには、学術公正性の観点から、偽装や誇称があってはならないことは当然です。「こういう成果を『論文』というのはどうか?」といった疑問は直ちに、その研究者個人の「学術界の常識」への疑念につながります。

最近、多くの研究者が Read&ResearchMap に情報を登録していて、教員情報の公表に活用している大学等も増えているようです。もちろん、一般に公開されていますので、研究者名で検索したり、研究課題等での検索もできます。研究者にとってありがたいのは、論文等の情報を個別に入力しなくても、公表されている各種のデータベースから取り出してきて、「候補」としてリストアップする機能があることです。もっとも、海外の出版物についてはまだ十分ではありませんが、整備が進められていますので、近いうちにできるようになるでしょう。また、Read&ResearchMap に登録した個々の教員の情報をもとにして、大学による教員情報の公表用のWEBページを生成したり、教員が申請する科研費の業績リストを生成することにも活用できるということです。

研究者自らが個人の記録の置き場として Read&ResearchMap を利用して、社会に研究成果を公表するとともに、研究者が同じ分野や関係の研究者コミュニティに情報を提供するためにも活用できるでしょう。こうした活用の利便性が高まれば、研究者情報を自ら提供する研究者が増えるでしょうし、学術界での自律的な学術公正性にも効果が得られると思います。

学術界での利益相反について

学術界における「利益相反」は、研究不正の文脈の中では表面に出てこないようですが、研究者の不適切な行為として「学術公正性」の観点から捉えるべき課題だといえるでしょう。以前にも参照した「日本の科学を考える」サイトでの議論の中で感じたことです。職務上の「利益相反」というのは、「職務として中立の立場で業務を行うべき者が自己や第三者の利益を図り、職務の中立性を損なうこと」だといえます。

たとえば、ある分野の研究者の「第一人者」が公的な研究プログラムの立案に携わっていながら、自らそのプログラムから研究費を得るといった状況はどう考えればよいのでしょうか。その分野の「第一人者」と目される研究者は、研究行政の担当部署から研究プログラムの立案に参画を求められることもあるでしょう。その上で、そのプログラムで公募が行われるようなときには、それに応募して研究プロジェクトを提案することもあり得ます。公募されないときでも、プロジェクト実施者についてはなんらかの選定が行われることになり、「第一人者」のプロジェクトが採用されることもあるでしょう。

こういう場面では、プログラムの立案に参画した研究者は「第一人者」なので、そのプログラムのなかで研究することが当然だと見られるかも知れません。なにしろ、「第一人者」なのですから、プログラムを成功させるためにも、プログラムの推進者からはそうして欲しいという意見も出てくることでしょう。

しかし、これは健全な研究プログラムの姿ではありません。どうしてこういうことが起こるのでしょうか。端的に言えば、研究者が当面の研究費を得ることを目的としているからでしょう。高い見識を持って広く学術界のことを考え、説明責任を果たすことを念頭に置くならば、研究者自らが利益誘導を行うことはないはずです。そうでないからこのようなことが起こるのです。「立場が違うから」という言い訳もされるでしょう。たしかに、中立的に振る舞うことはできますが、それでも、「自己の利益を図り、職務の中立性を損なう」ことです。

こうした形の利益相反は学術界ではときに話題になりますが、「形式的には問題がない」、「研究不正ではない」ということで、上にあげたような「第一人者」はそれであり続けるということになっているようです。しかし、学術界における利益相反行為は、当然、「学術公正性」の観点からも自律的に排除すべきことです。

「審議のアーキテクチャ」について

計算機科学の分野では「アーキテクチャ」というと、直ちに Computer Architecture を思い浮かべます。もちろん、「アーキテクチャ」はそれ以前から建築学で使われている用語です。しかし、このことばはさらにより広い分野、たとえば社会思想の分野でも使われていることを知りました。日本学術会議の審議について、会員のある方との立ち話でこのことばを教わりました。その概念を正確に表すことができないのですが、「組織の構成員が自発的に議論に参画できるようにすることにより、一部の構成員からなる委員会審議よりも本質的な審議をすることができるのではないか」いうことで、審議の構造に関することをこの「アーキテクチャ」ということばで表現してみたのです。もとより、ここでは「アーキテクチャ」の用語を議論しようというのではありません。以下は、新たな「審議のアーキテクチャ」の提案です。

日本学術会議の第165回総会が10月2日〜3日に開かれました。会員210名が参加する半年に1回行われる総会です。自由討議のときに、学術会議の会員・連携会員の約2,200名が利用できるWEB掲示板についての話題を提供しました。この掲示板は1年ほど前から使われています。WEB掲示板には委員会等の委員に閉じたフォーラムと会員等に全面的に公開されているフォーラムがあります。それぞれのフォーラムには、話題ごとに意見交換をするトピックを設定することができるようになっています。記事の掲載はすべて実名で行います。総会で提供した話題というのは次のようなものです。

 日本学術会議は行政機関ではありません。また、特定業務を目的とした独法でもありません。科学者コミュニティを代表する会員が政府から独立して議論できる場です。

会務を円滑に行うために委員会や分科会を置き、幹事会が総会を代理して学術会議の意思を決定する仕組みですが、会員が同等の立場であることから、委員会等での決定は最大限尊重することが慣行となっているといえます。そこには、陳情や利益誘導は忌避すべき活動だといえるでしょう。

こうした学術会議の構成員のあり方を基礎に、会員・連携会員が同等の立場で、委員会等への所属や役職とは無関係に自由に意見を交換して議論することができるように掲示板 SCJ Member Forum を設置しました。また、最近の会員が多忙で会議のために参集することが難しいことも一つの要因だったといえるでしょう。

運用を始めて、1年以上経つのですが、その利用は、必ずしも本来の目的にあったものとはなっていないように思われます。

会員の方々と、掲示板の利用に関してその実績とその活用についての意見交換をしたいと思います。

日本学術会議の会員210名は、人文・社会科学、生命科学、理学・工学という3つの部に分かれて所属しますが、学術の専門分野ごとの振興を図る活動とともに、分野を越えて学術の総体に関わる活動を行うことが職務だといえます。分野別に30の委員会がありますが、それらの下に総計300を越える分科会が設置されています。これらの委員会や分科会は、それぞれの専門分野の委員で構成されているのですが、学術全体に関わる委員会には、各部から委員を選んでいます。会員以外に、2,000名弱の連携会員も参加します。

このような形で行われている委員会の「審議のアーキテクチャ」は、従来の伝統的な会務運営に基づくものですが、果たして、一定数(30名以下)の委員から構成する委員だけで会員の意見を十分に代表できているのでしょうか。決して、委員の方々を批判しているわけではありません。委員を務める方々の代表性の課題の解消とその方の周囲の方々の意見を集約するという負担の軽減という観点からの提案です。学術会議は、会員が同等に意見を述べることのできる組織であり、行政機関のように役職によって構造化されているわけではなく、会務を処理する会長、副会長、部の役員に辞令が出ているわけでもありません。

実際、すでに公表された審議結果の表出に関しても、会員等からのさらなる意見も出されます。委員だけで広く会員の意見を代表するのが難しい場合もあるでしょう。こういうことに対して、新たな審議の形態、すなわち「アーキテクチャ」があるのではないでしょうか。たとえば、このところ話題になっている「学術の公正性」といった議論を行うには、選ばれた少数の「委員」だけではなく、会員等が同じ立場でWEB掲示板で意見を交わす形で審議を行うのがよいのではないかと思います。

このような審議の形態は、構成員が同等に意見を述べあうことを基本とする組織に特徴的なものだといえるでしょう。政府等の委員会で「有識者」として研究者が委員を務める場合とは状況が違います。従来の「委員会」を構成するには多数に過ぎる会員組織における審議を実質的に行うために、WEB掲示板という手段による新たな「審議のアーキテクチャ」を考えてはどうでしょうか。もちろん、掲示板だけでなく、Facebook等の可能性もあるでしょう。

上にあげた学術会議総会での話題提供は、本来ならば、WEB掲示板で行いたいと思ったのですが、なにしろ、そういう議論を掲示板で交わす状況にないので、会員の方々の(半数ほどが出席している場で)意見を聞いたのです。その反応や結果についてはご想像に委ねますが、「審議のアーキテクチャ」という観点を得たことは収穫だと思っています。

自律的な学術公正性の確保に向けて

以前に記事「Academic Integrity と Research Integrity」を書きました。”Academic Integrity” は「学術における誠実さ」ということですが、これを「学術公正性」と呼ぶのはどうでしょうか。”Research Integrity” を「研究公正性」と呼ぶことに対応するものです。繰り返すことになるかも知れませんが、学術公正性について考えてみました。学術界で学術公正性を保証するためには、どのような仕組みが考えられるでしょうか。

研究不正に関わる一つの大きな問題として、研究費の不正使用がとりあげられます。研究上で必要とされる経費の執行には、研究者だけでなく、所属機関の経理担当者も関与していますので、一定のチェック機能が働いているといえるでしょう。それでもなお、責任者である研究者が主導して不正を行うということは、研究とは異なる別の能力の欠如だといえます。そこには、研究機関や大学における研究者の奢りがあるといえるのではないでしょうか。

一方で、論文の捏造といった研究成果の公表に関する不正のチェックには専門性が必要です。論文の内容については、同業者としての研究者が判断することになり、研究者でムラを作っているとその外部からは見えなくなってしまいます。狭い世界で階層的な構造ができて、指導的立場にある研究者の指示によって研究の担当者に不正を不正と感じさせなくしていることもあるでしょうし、そのような言動を見て、代々それを継ぐということもあるのでしょう。こうした構造的な問題は、研究者の世界で解決すべきことです。

研究不正は、研究者が本来の研究以外のことに深い関心をもち、自らの邪な思いをとげようと手を染めてしまった結果だといえるでしょう。しかし、このようなことは、研究に関することだけではないと思われます。以前にも触れましたが、研究者があるポジションに就こうとするときには、自ら業績を提示して評価を受けることが一般的です。最近の記事で「学術公正性(Academic Integrity)」について数回、意見を述べました(「科学者倫理に思うこと」「『生涯論文数』について」)。最近は学歴詐称や学位偽装といった不正は少なくなったようですが、それでもときに指摘があるようです。

業績誇称も学術的な公正性に反することであることは確かでしょう。申告された論文の同一性を判定したり、論文数から業績が水増しされていると判断したりすることは、その分野の研究者でなければできません。外見的なことだけでは分からないので、目が行き届かないというのは、論文の捏造の場合に似ているといえるでしょう。最近の記事や他のサイトでのやりとりが「世界変動展望」サイトの「論文水増しによる業績評価について」で紹介されています。

このようなことから、学術界の誠実さを高めるためには、「研究公正性」にとどまらず、「学術公正性」という見方が望まれるのではないでしょうか。「研究公正局」の設置が検討されるようですが、「不正の取締り・監視」以前に、学術界において「学術公正性」を判断するためのガイドラインを共有して、自律的に公正さを保証する仕組みを検討することから始める必要があるでしょう。

こうした学術公正性を確立するための仕組みの一案です。研究不正にしても業績誇称にしても、対象とされる研究者や機関に対して、研究者の所属する機関における研究実施状況の調査や研究内容に関する専門的な観点からの調査が必要なことから、第一義的には研究機関における調査委員会が担当することになるでしょう。この調査結果を報告書として根拠資料とともに学術界に提示して、第三者による裁定を求めるというのはどうでしょうか。自己点検評価に基づく改善の仕組みのなかに第三者評価を置くという考え方は、大学における内部質保証の基本的な考え方で、学術界における自律的な活動にふさわしいものだといえます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について(追記)

文科省の研究不正の取組については、一月ほど前に「文科省の『研究不正に向けた取組』について」として意見を述べましたが、9月26日に文科省から「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の中間とりまとめが公表されました。そこには、「国による監視と支援」として「『研究公正局(仮称)』のような第三者監視組織の設置などは今後に向けた大きな課題である」と書かれています。以前の記事にも書きましたが、(研究不正だけではなく)学術界の不正に対処する自律的な活動を促し、不正に関して審理裁定を行う機関が必要だと考えていますが、「監視」ということには違和感があります。

学術界の自律的な解決には期待できないということで、第三者が監視するということになるのは、科学者にとって残念なことです。学術界では、社会による監視が求められる前に自らが説明責任を果たすべきだといえるでしょう。

研究成果に関する疑義が指摘されたときに、それを調査することはその分野の研究者でなくてはできません。また、その対象となる研究者の所属機関の協力なしには実情が分かるわけではありません。したがって、現状では、それぞれの研究機関や大学などで調査委員会が調査し、その結果に基づいて、その処置をとるというのが一般的です。しかし、それが適切な処置であるかどうかを学術界で判断する機会がないというのが問題だと思います。学術界での「審理裁定」の機能が必要だといえるでしょう。

Academic Integrity とResearch Integrity

これまでに、「学術『公正局』」ということでいくつかの記事を掲載しました。最近の話題が「研究不正」への対応に向いていることから、また、生命科学分野の議論が活発で、米国のORI(The Office of Research Integrity)が参照されて、「公正局」という表現が使われていたことから、その名称を借りました。しかし、わが国で実効的な組織を考えるときに、米国ORIの機能でよいのかどうか検討が必要だという指摘もあります。このなかで、研究不正だけではなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を対象とする組織を「学術『公正局』」と表しました。

米国では “Academic Integrity” ということばも使われています。「学術上の誠実さ」とでもいえばよいのでしょうか。あるいは、「学術公正性」といってもよいかも知れません。米国にInternational Center for Academic Integrity (ICAI) という組織があり、多くの大学がメンバーになっています。たんに研究だけではなく、大学の学生や教職員、大学役員などすべての構成員に対する誠実性の規定 (Code of Academic  Honesty) とその実施状況の評価の基準などの情報の提供などを行っています。

わが国では、研究面での不正防止のために研究倫理プログラムを開発して普及させるということが計画されていますが、2年半前に「科学者の行動規範とAcademic Honesty」で書いたように、学問に携わる初期に身につける「誠実性」は研究活動における不正行為への健全な意識をもつためにも重要でしょう。たとえば、指導者からの不正行為の強要といったことにどう対応するのか、自らの信念をもつ機会となることが期待されます。大学教育の中でも、たとえば、工学倫理といったかたちで職業上の倫理が扱われてきていますが、大学における学生生活のなかで身につけるべき「誠実性」もその範囲に含まれるでしょう。

研究成果としての論文の捏造、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用 (Plagiarism)という、いわゆる FFP 研究不正は「研究公正性」の問題ですが、その成果を得るための研究費獲得の際には、業績誇称といった「学術公正性」の問題が出てくることがあります。また、FFP研究不正の当事者として、大学教授といった一定の職階の研究者が多いことから、その職を得た過程について問題が指摘されることもあります。経歴や業績を自ら誠実に記載するのは、研究者としての資質に関わることですが、最低限、研究者として歩むときに身につけるべき誠実さだといえるでしょう。

“Academic Integrity is fundamental to everything we do in the academy”  ということばがあります。大学や研究機関における「学術公正性」の周知を深めることを考えるべきだと考えます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について

8月29日に公表された文部科学省の平成26年度概算要求の資料(のp.41から始まるp.50)に「研究不正に向けた取組」の要求が示されています。そこには、「考え方」として、「研究不正の防止に向けて、副大臣を座長とした『研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース』を設置し、これまでの不正事案に対する対応の総括を行うとともに、今後講じるべき具体的な対応策について検討。また、平成26年度概算要求に、研究倫理教育プログラムの開発や普及促進等に係る経費・体制強化を盛り込む。その際、日本学術会議とも連携しながら取組を推進」とあります。

「研究倫理教育プログラムの開発の支援」がほとんどを占め、あとは「研究倫理に関する調査研究」です。 日本学術会議の声明「科学者の行動規範について」(2006年10月3日)が出されてから、多くの大学でそれぞれに研究不正への対応がとられてきたと思います。学術会議では、これを改訂して、2013年1月25日に声明「科学者の行動規範ー改訂版ー」を出しました。文科省の取組の「研究倫理教育プログラムの開発」というのは、関係機関でこのような研究倫理を定着させるための方策でしょう。もちろん、研究倫理の教育・研修は欠くことができません。しかし、これだけでは現下の研究不正の防止策にはならないことも確かなことです。

研究不正の防止が科学者の責務であるとして、「日本の科学を考える」サイトでは、真摯に議論されています。こうした取組みの次になすべきことが何であるのか、意見が交わされています。また、日本分子生物学会の「第36回日本分子生物学会・年会企画アンケート」結果には、1022名の(主として生命科学系の)研究者の回答が得られています。選択肢の重複回答の場合は回答総数を母数とした比率ですが、
○ 約7割が「研究不正に対する現行システムは(あまり)対応できないと思う」
○ 約半数が「研究不正の調査に第三者の中立機関が対応するのがよい」
○ 約7割が「研究不正を取り締まる外部中立機関の設置が望ましいと(おおむね)思う」
という結果です。こうした研究現場の声を政策に反映させることも必要でしょう。さらに、
○ 研究不正を減らすために、約半数が「教育が必要」、約3割が「厳罰化が必要」
としていることから、各機関における不正への対応が強く求められているといえるでしょう。

文科省の施策の中にも「研究倫理に関する調査研究」がありますが、すでに学協会等で行われている取組みや議論を参考にして、実効ある学術の公正を目指すべく本質的な議論を深めるべきだと思います。

学術「公正局」について(追記)

前回に書いた学術「公正局」についての追記です。

日本学術会議では2005年8月31日に、当時の黒川清会長のコメントで、「日本学術会議においては、科学者コミュニティを代表する立場から、科学者コミュニティの自立性を高めるために、関係諸機関と連携して、倫理活動を展開するとともに、ミスコンダクト審理裁定のための独立した機関を早い時期に設置することを検討すべきこと」と提言しています。このもとになった委員会報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けてー」は
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1031-8.pdf
にあります。
その後、学術会議で具体的にこの「審理裁定機関」設置の検討が行われたことはないと思います。この間、会員を務めていながら、8年間の不明を恥じる次第です。
この報告では、「日本学術会議内に(あるいはそれに近接して)早い時期 に設置すること」を念頭に、審理裁定機関における調査のための人的資源には(専門性の観点からも)限界があるので、「科学者コミュニティの全面的協力によって充足されよう」としています。
日本学術会議は、事務局では内閣府職員があたりますが、科学者を代表する会員210名は非常勤特別公務員という立場ですので、その中に調査機能をもつ常設機関を置くのは難しく、学術界の協力が必要ということにもなります。しかし、このような第三者機関をどこに置くにしても、対象が特定の個別分野に限られるわけではないので、学術界が積極的に協力できるような体制が必要であることは同じだと思います。

この「公正局」あるいは「審理裁定機関」の業務内容は、以下のようなものでしょう。
○ 研究者およびその研究者の所属する研究機関における公正な研究活動の監視・指導
○ 国の助成によるものに限らず、一般の科学研究における不正(の疑義)の申立てを受理する窓口
○ 研究機関、学協会に対する調査の指示・調整、および審理手続きの監視
○ 調査結果に基づく裁定

研究不正だけでなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を防ぐための実効性のある組織として設置することが期待されます。

学術「公正局」について

最近の「研究不正」に関わる議論の中で、不正に対応するためのシステムとして「公正局」の必要性が議論されています。あるいは、研究上のことだけではなく、学術界や大学界のその他の不正への対応も考える必要があるかも知れません。研究不正の背景には、研究者個人の評価やそれに基づく研究職、大学教員等の人事や雇用に関することも考えられますし、そこには、学位詐称や業績捏造、業績誇称といった不正も問題とされるでしょう。「専門的な見地から」という理由で、社会から距離を置いてきた学術界のさまざまな慣行が問題を複雑にしている面もあると思います。

「公正局」の議論の中では、第三者によって積極的に調査することの必要性が指摘されています。これまで、研究不正に関する対応が、研究者の所属機関に委ねられ、調査とその結果に基づく処置が組織の判断でなされてきたことへの問題提起だといえるでしょう。

「日本の科学を考える」サイトはこれまでにも参照させていただいておりますが、その中でも「研究不正問題3 公正局の立ち上げは可能か、本当に機能するのか?」では、「公正局」の設立について具体的な議論が交わされています。

また、「世界変動展望」サイトでは、「研究不正調査制度の問題点について」、「設置すべきは米国ORIのような機関ではなく、どんな分野も客観的、積極的、強制的に調査できる第三者機関」といった整理がなされています。

論文の不適切な発表については、掲載論文誌の責任による取下げで発見されることがあるでしょう。「Retraction Watch」サイトには次々と報告されています。もちろん、それ以外にも、論文の捏造や重複投稿が発覚して、それが論文の取下げになることもあるでしょう。問題は、むしろ、この後の処置だといえます。わが国で、こうした不正(の可能性)が指摘されたときに、それを調査するのは、その研究者の所属機関ということが多いようです。しかし、上にあげた議論の中では、研究者の所属組織や研究経費の提供機関が他者から指摘された対象事案を事後に調査するには、限界があるのではないかという問題提起がなされているわけです。

独立して積極的に調査する機能を果たせる組織はどこなのか、議論の余地があるでしょう。「公正局」がいかにして公正な判断ができるか、また、その調査機能を有することができるか、そのような法的な裏付けをどのようにするのか、等々。

学術界では、本来の研究活動のあり方として、政治や権力からの独立性を確保すべきであるという基本的な立場があります。このことから、「公正局」を学術界の外に置くことについては、慎重に考えなくてはならないといえるでしょう。しかしながら、中立的で公正で、ときには強制力のある調査機能が求められると、学術界ではどうすればよいのでしょうか。学術界の自律性が問われているといえます。科学者コミュニティを代表する組織としての日本学術会議は内閣府に置かれていますが、「政府から独立して職務を行う特別の機関」です。日本学術会議でこの課題に取り組むことが考えられます。

すでに、「科学者倫理に思うこと」でも触れたように、日本学術会議でも、関連することがらを審議する「科学研究における健全性の向上に関する検討委員会」が作られました。設立の目的は、

委員会は、科学研究における健全性の向上に資することを目的とし、 科学研究における不正行為防止を含む科学者の行動規範の徹底に向けた 対応に関する事項、及び臨床試験における技術的、理論的質向上に関する 事項を含む臨床試験の今後の制度の在り方に関する事項を審議する。

とされていて、かなり限定的です。学術の「公正局」というには距離があります。

研究不正だけではなく、業績誇称などの学術界や大学界における規範に反する行為を学術界で自浄するための取組みはどうすればよいのでしょうか。学術界の外に第三者機関を置かなければできないことなのでしょうか。Academic Integrity の大きな課題といえるでしょう。