Category Archives: 大学関係

親の背中

今、大学ではさまざまなアファーマティブアクションがとられています。

・外国人教員の採用

・女性教員の採用

・若手研究者の流動性の確保

などです。

いずれも、人事に関わることですので、教員個人でできることではないのですが、それでも個人の考え方に基づくところが大きいといえます。

しかし、これらについてはどれも、すでにやろうと思えばできたことです。すでにできたことを新たな施策だとして喧伝することには違和感があるというのが実感です。今日、旗を振って進めていることの多くはそうです。それをやっていなかったからといって、実施前と実施後の差分を求めるやり方がほんとうによいことなのでしょうか。すでにやっているところでは、そこで経験した人やそれを見ていた人にはあたりまえのことになっているでしょう。若手は「親の背中」を見ています。

最近の傾向として、これまでやっていなかったことを実施するようにとのインセンティブ経費の措置が多いように思います。もちろん、それで望ましい方向に向かうのはよいことなのですが、すでにやっているところはどうなのでしょうか。できているからもういいではないか、といわれかねません。やっているところでは経費の面でも努力しているでしょう。そこに、さらなる展開のために支援するといった考え方も大事ではないかと思います。

国際化、男女参画、若手の流動性などの話題が出るたびに思うことは、なぜ、特別な措置が行われなければできないのかという疑問です。重ねてのことですが、これまでも、やればできたのです。すでにやったところでは、何かを求めたわけでもないでしょう。また、そのような要請があったわけでもないでしょう。このような話題が出るにつけ、目新しさに目を奪われて本質を忘れてしまいがちになります。目新しいえさに振り回されずにやるべきことを実行する人が増えることを期待しています。次代の人材は「親の背中」を見ています。次代のために行動しようではありませんか。

大学の国際化の目指すものは?

大学の国際化が話題になっているようです。国際化というのは、とくに最近、というわけではないのでしょうが、文科省で施策として競争的プログラムの公募があったり、国際的な大学ランキングのことが話に出るということもあるのでしょう。

一言で「国際化」といっても、目指すものは大学ごとに、また、大学内でも研究科や学部ごとに違うでしょう。分野によっても大きく違うことだと思います。個人はもちろん、研究室といった小さい組織では目指すものをはっきりさせることができるでしょうが、大学という規模になると、さまざまな考え方があって、ことばはよくないかも知れませんが、総花的になってしまいかねません。わが国の学生や教職員が国際的な場で活動するということもあれば、外国から学生や教職員を迎えて国際性のあるキャンパスにするといったこともあるでしょう。

大学はこれまでに十分な国際化をしてこなかったのでしょうか?なぜ、不十分だというのでしょうか?大学人はほんとうに国際的な活動をしていないのでしょうか?

分野にもよるでしょうが、私のまわりでは、教員はふつう国際会議に論文を投稿して発表に出かけるというのは日常的になっています。大学院の学生や研究員の人たちもおなじです。研究室には外国からの留学生の人もいますし、外国から研究者が訪れます。これが、目指す「国際化」であればそれでよいのでしょうが、最近、まわりでいわれる「国際化」はどうも、それだけではないようです。

英語の講義だけを受講して大学院の単位を取ることができるようなコースを作るとか、若手の研究者・教員を何ヶ月か海外に派遣する、といった目新しい(?)ことが始まりそうです。いずれも、トップダウンに、文科省がそのような計画の提案を大学や研究科から求めて、選定して経費を支援したものです。

これまでは、このような「国際化」はできなかったのでしょうか?何か制約があったのでしょうか?

いずれも、やろうと思えばできたことです。もちろん、やろうとするためには経費が必要だということもあるでしょう。それならば、その計画をもとに予算を要求するというのがボトムアップにで大学らしい進め方だといえますが、こうして経費を得ることが難しくなっていることは分かります。しかし、Curiosity-drivenの気質が身についている大学人が、自らが提案したとはいえ、枠にはまった形のTarget-orientedな国際化を推進するには苦労することでしょう。

個々の大学人が日常的な国際化に努めるのがいちばんだと思います。すべての講義を英語で受けなくても、英語の教材や論文を使った講義には留学生の多くが受講します。また、講義やセミナーでの学生のプレゼンテーションは英語でも日本語でもよいではありませんか。ずいぶん前から、私の研究室でのセミナーは日本語、英語が混在しています。火曜日の午後には、研究室以外にも声をかけてセミナーや講演会をやりますが、そこに日本語が達者でない研究者や学生も参加しますので、日本人も英語で発表し議論しています。もちろん、完璧な英語というわけではありませんが、専門を同じくする研究者仲間が研究上の交流をするのですから、それほど難しくはありません。このような雰囲気を作るというのが国際化の第一歩だと考えています。

まずは、できることをやることが第一歩でしょう。そのような活動は続きます。時限のある経費に基づく活動はどうやって継続するのか、今から考えておかなくてはなりません。目指すものはさまざまでしょうが、個々の大学人の意識と行動が基本だと思います。

大学における情報分野の専門家?

大学では、年度末の今、学生の卒業に関わるさまざまな行事があります。今日は、われわれのところで卒業論文の審査でした。学生は卒業論文とともに、自らの取得単位に関心があるでしょうが、今や、個々の学生が学務情報システムで取得単位・成績を確認できるようになっています。

ちょうど40年前の今頃、工学部4年生で卒業を迎えようとしていたときのことを思い出しました。大学のデータ処理センターで工学部卒業予定者の成績判定のための「情報処理」を徹夜でやりました。当時は貴重な計算資源であったコンピュータを教育・研究に支障のない時間帯に事務処理のために使って、UM(University Management)委員会のもとで事務改善を進めようとしていたのです。もっとも、私は学生でしたので、そのお手伝いということでしたが、自らの卒業判定データを扱うとは思ってもいませんでした。プログラミングの楽しみをおぼえて、センターのコンピュータOKITAC5090を使わせてもらったのが尾を引いたのです。プログラムは1年前から先輩の学生と同期の友人と一緒に書いたものでした。さすがに、実際のデータ処理中にプログラムを書き換えるようなことはありませんでしたが、オペレーションを含めて緊急対応のために教員、職員の方々と夜を過ごしました。なにしろ、磁気テープ上のデータを何度かソーティングして最終的なリストを印刷するという処理でしたので、何時間か3つのデッキで回るリールを見ながら順調に進むよう祈っていました。磁気テープデッキの調子が悪くて巻き戻しができなかったときに、ウラに回ってプリント基板を引っこ抜いて差し戻すという大胆なこともやりました。

40年前には、「情報処理」は民間でもそれほど一般的ではありませんでした。大学では、研究のための科学計算だけでなく、大学の運営に関わる事務処理にもコンピュータを使おうという将来の情報社会を見越した活動が始まっていたわけです。教員と職員の連携によって挑戦的ともいえる活動が行われていたことを思うにつけ、リーダーシップを発揮されたわが恩師の慧眼にあらためて感服するところです。当時の工学部の学生数は今とほとんど変わりません。900人を越えていたと思います。各人が40科目程度をとっても4万件のデータ処理ですから、今ではたいしたことはありませんが、当時は「翌日まで」という制約下で処理するにはそれなりに大変だったのです。

その後、計算機科学(Computer Science)の研究分野に身を置いて、大学で仕事をしてきました。研究や教育はもちろんですが、それとは別に、20数年前の全学ネットワークUTnetの整備など、職員の方々と一緒に仕事をした情報システムの設計や導入もよい経験です。情報ネットワークは私の研究分野ではありませんが、この機会に実践的なことを学びました。少し、距離があったので、実務的にはかえってよかったのかも知れません。

ひるがえって、こんにちの大学の運営に関わる情報システムの現状はどうでしょうか。40年前とは違います。大学が情報処理の先鞭をつけるといった状況ではありません。産業界ではあたりまえになっているような事務処理も大学ではうまく行われていないでしょう。「大学には情報分野の専門家がいるのになぜ?」といったことも聞こえてきます。ところが、情報分野の研究者が情報システムに通じているというわけではありません。もはや、目的に合った情報システムを設計・開発する技術は情報分野の研究を越えた領域にあるといってもよいでしょう。うっかりして、設計を偏狭な考えの教員に委ねてしまうととんでもないことになりかねません。それならば、大学内のだれがどこまで担当するのでしょう?今はこれが難しいのです。しかし、これが現状でしょう。私はまだ解を見つけていません。

情報分野の教員、研究者は自らの研究だけでなく、情報システムや関連する産業界の現状にも関心をもつべきでしょう。なにより、研究成果が社会に貢献する姿を見ることですから。その一方で、まわりの方々は、情報分野の研究者だからといって、情報システムに通じていると思いこんではいけません。分かっている人もいれば、関心のない人もいます。大学に健全な情報システムが整備されて、真に運営基盤として活用される日がくることを願っています。