親の背中

今、大学ではさまざまなアファーマティブアクションがとられています。

・外国人教員の採用

・女性教員の採用

・若手研究者の流動性の確保

などです。

いずれも、人事に関わることですので、教員個人でできることではないのですが、それでも個人の考え方に基づくところが大きいといえます。

しかし、これらについてはどれも、すでにやろうと思えばできたことです。すでにできたことを新たな施策だとして喧伝することには違和感があるというのが実感です。今日、旗を振って進めていることの多くはそうです。それをやっていなかったからといって、実施前と実施後の差分を求めるやり方がほんとうによいことなのでしょうか。すでにやっているところでは、そこで経験した人やそれを見ていた人にはあたりまえのことになっているでしょう。若手は「親の背中」を見ています。

最近の傾向として、これまでやっていなかったことを実施するようにとのインセンティブ経費の措置が多いように思います。もちろん、それで望ましい方向に向かうのはよいことなのですが、すでにやっているところはどうなのでしょうか。できているからもういいではないか、といわれかねません。やっているところでは経費の面でも努力しているでしょう。そこに、さらなる展開のために支援するといった考え方も大事ではないかと思います。

国際化、男女参画、若手の流動性などの話題が出るたびに思うことは、なぜ、特別な措置が行われなければできないのかという疑問です。重ねてのことですが、これまでも、やればできたのです。すでにやったところでは、何かを求めたわけでもないでしょう。また、そのような要請があったわけでもないでしょう。このような話題が出るにつけ、目新しさに目を奪われて本質を忘れてしまいがちになります。目新しいえさに振り回されずにやるべきことを実行する人が増えることを期待しています。次代の人材は「親の背中」を見ています。次代のために行動しようではありませんか。

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