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学術「公正局」について(追記)

前回に書いた学術「公正局」についての追記です。

日本学術会議では2005年8月31日に、当時の黒川清会長のコメントで、「日本学術会議においては、科学者コミュニティを代表する立場から、科学者コミュニティの自立性を高めるために、関係諸機関と連携して、倫理活動を展開するとともに、ミスコンダクト審理裁定のための独立した機関を早い時期に設置することを検討すべきこと」と提言しています。このもとになった委員会報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策ー科学者コミュニティの自律に向けてー」は
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1031-8.pdf
にあります。
その後、学術会議で具体的にこの「審理裁定機関」設置の検討が行われたことはないと思います。この間、会員を務めていながら、8年間の不明を恥じる次第です。
この報告では、「日本学術会議内に(あるいはそれに近接して)早い時期 に設置すること」を念頭に、審理裁定機関における調査のための人的資源には(専門性の観点からも)限界があるので、「科学者コミュニティの全面的協力によって充足されよう」としています。
日本学術会議は、事務局では内閣府職員があたりますが、科学者を代表する会員210名は非常勤特別公務員という立場ですので、その中に調査機能をもつ常設機関を置くのは難しく、学術界の協力が必要ということにもなります。しかし、このような第三者機関をどこに置くにしても、対象が特定の個別分野に限られるわけではないので、学術界が積極的に協力できるような体制が必要であることは同じだと思います。

この「公正局」あるいは「審理裁定機関」の業務内容は、以下のようなものでしょう。
○ 研究者およびその研究者の所属する研究機関における公正な研究活動の監視・指導
○ 国の助成によるものに限らず、一般の科学研究における不正(の疑義)の申立てを受理する窓口
○ 研究機関、学協会に対する調査の指示・調整、および審理手続きの監視
○ 調査結果に基づく裁定

研究不正だけでなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を防ぐための実効性のある組織として設置することが期待されます。

学術「公正局」について

最近の「研究不正」に関わる議論の中で、不正に対応するためのシステムとして「公正局」の必要性が議論されています。あるいは、研究上のことだけではなく、学術界や大学界のその他の不正への対応も考える必要があるかも知れません。研究不正の背景には、研究者個人の評価やそれに基づく研究職、大学教員等の人事や雇用に関することも考えられますし、そこには、学位詐称や業績捏造、業績誇称といった不正も問題とされるでしょう。「専門的な見地から」という理由で、社会から距離を置いてきた学術界のさまざまな慣行が問題を複雑にしている面もあると思います。

「公正局」の議論の中では、第三者によって積極的に調査することの必要性が指摘されています。これまで、研究不正に関する対応が、研究者の所属機関に委ねられ、調査とその結果に基づく処置が組織の判断でなされてきたことへの問題提起だといえるでしょう。

「日本の科学を考える」サイトはこれまでにも参照させていただいておりますが、その中でも「研究不正問題3 公正局の立ち上げは可能か、本当に機能するのか?」では、「公正局」の設立について具体的な議論が交わされています。

また、「世界変動展望」サイトでは、「研究不正調査制度の問題点について」、「設置すべきは米国ORIのような機関ではなく、どんな分野も客観的、積極的、強制的に調査できる第三者機関」といった整理がなされています。

論文の不適切な発表については、掲載論文誌の責任による取下げで発見されることがあるでしょう。「Retraction Watch」サイトには次々と報告されています。もちろん、それ以外にも、論文の捏造や重複投稿が発覚して、それが論文の取下げになることもあるでしょう。問題は、むしろ、この後の処置だといえます。わが国で、こうした不正(の可能性)が指摘されたときに、それを調査するのは、その研究者の所属機関ということが多いようです。しかし、上にあげた議論の中では、研究者の所属組織や研究経費の提供機関が他者から指摘された対象事案を事後に調査するには、限界があるのではないかという問題提起がなされているわけです。

独立して積極的に調査する機能を果たせる組織はどこなのか、議論の余地があるでしょう。「公正局」がいかにして公正な判断ができるか、また、その調査機能を有することができるか、そのような法的な裏付けをどのようにするのか、等々。

学術界では、本来の研究活動のあり方として、政治や権力からの独立性を確保すべきであるという基本的な立場があります。このことから、「公正局」を学術界の外に置くことについては、慎重に考えなくてはならないといえるでしょう。しかしながら、中立的で公正で、ときには強制力のある調査機能が求められると、学術界ではどうすればよいのでしょうか。学術界の自律性が問われているといえます。科学者コミュニティを代表する組織としての日本学術会議は内閣府に置かれていますが、「政府から独立して職務を行う特別の機関」です。日本学術会議でこの課題に取り組むことが考えられます。

すでに、「科学者倫理に思うこと」でも触れたように、日本学術会議でも、関連することがらを審議する「科学研究における健全性の向上に関する検討委員会」が作られました。設立の目的は、

委員会は、科学研究における健全性の向上に資することを目的とし、 科学研究における不正行為防止を含む科学者の行動規範の徹底に向けた 対応に関する事項、及び臨床試験における技術的、理論的質向上に関する 事項を含む臨床試験の今後の制度の在り方に関する事項を審議する。

とされていて、かなり限定的です。学術の「公正局」というには距離があります。

研究不正だけではなく、業績誇称などの学術界や大学界における規範に反する行為を学術界で自浄するための取組みはどうすればよいのでしょうか。学術界の外に第三者機関を置かなければできないことなのでしょうか。Academic Integrity の大きな課題といえるでしょう。

研究費に思うこと

「研究不正」にはさまざまな要因がからみあっていますが、研究費との関係もその一つでしょう。研究費の「不正使用」ということが、今でも報道されます。科学者が社会からの信頼をなくする大きな問題だといえるでしょう。論文の捏造や論文数の水増しなどは研究成果に関する不正ですが、研究実施に係る経費はどうなっているのでしょうか。

大学で研究に携わったことを振り返ってみると、研究成果は公表した論文等を通じて、社会の共有知財として活かされることに喜びを感じるものです。その一方で、その研究を実施するにあたっての公的資金の実態を伝えることには、それほど関心をもっていなかったと反省しています。一般的には、研究費はあまり公表しないようです。研究費の原資は分野によってさまざまでしょうが、curiosity-drivenの基礎的な研究では、代表的には科学研究費でしょう。科研費については、「科研費データベース」を通じて、だれでも、特定の研究者の研究経費と成果を知ることができます。私が研究代表者として実施した科研費による研究は17件であることが分かります。

2年半ほど前、2011年3月に大学を退職するときに、研究代表者として研究室での研究に充てた経費の状況を振り返ってみました。「研究室」の大きさは、いわゆる旧小講座程度で、少しの変動はありましたが、おおむね、教授、准教授、助教が各1名で、大学院学生と一緒に研究をするというものでした。そのときに使ったのはスライドのページ「研究費」でした。研究室の教員が共同研究者として実施した経費分を示したものです。もちろん、若手の教員も科研費を獲得していましたので、これだけで研究室の研究費をまかなったというわけではありません。また、大学院の学生には、研究課題を自ら見つけることを勧めていましたので、科研費の課題と異なることもありました。そのときには、別途、研究費を充てることもありました。

科研費に限らず、公的資金への応募に際しては、すべての書類を自分で作りました。それなりの苦労はありましたが、それでも、研究マネージメントに時間がとられる、といった感じはしませんでした。つつましい研究だったといえるでしょうか。

上に示した研究費の状況の中には、文科省の研究プロジェクトe-Societyの経費にも触れていますが、このプロジェクトについては別の機会に書きたいと思います。2006年には、エフォートを考慮して、科研費を申請しなかったと記憶しています。それ以外には、研究費としては、企業等からいただいた寄付金もいくらかありました。大学の公費(運営費交付金)や科研費で海外出張が認められなかった時期には、非常にありがたい資金でした。特定の研究課題の支援経費ではありませんでした。また、当然のこととして、寄付金には利益相反への配慮が必要ですので、管理的職務についてからはその可能性を排除するために、一切の寄付金を受けませんでした。

研究に係る倫理のあり方を考えるにつけ、他者の批判をするだけではなく、自らの行動を振り返ってみることも大事ではないかと思います。公的にその場にある人たちは、積極的に成果と研究費の関係も公表すべきでしょう。