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自律的な学術公正性の確保に向けて

以前に記事「Academic Integrity と Research Integrity」を書きました。”Academic Integrity” は「学術における誠実さ」ということですが、これを「学術公正性」と呼ぶのはどうでしょうか。”Research Integrity” を「研究公正性」と呼ぶことに対応するものです。繰り返すことになるかも知れませんが、学術公正性について考えてみました。学術界で学術公正性を保証するためには、どのような仕組みが考えられるでしょうか。

研究不正に関わる一つの大きな問題として、研究費の不正使用がとりあげられます。研究上で必要とされる経費の執行には、研究者だけでなく、所属機関の経理担当者も関与していますので、一定のチェック機能が働いているといえるでしょう。それでもなお、責任者である研究者が主導して不正を行うということは、研究とは異なる別の能力の欠如だといえます。そこには、研究機関や大学における研究者の奢りがあるといえるのではないでしょうか。

一方で、論文の捏造といった研究成果の公表に関する不正のチェックには専門性が必要です。論文の内容については、同業者としての研究者が判断することになり、研究者でムラを作っているとその外部からは見えなくなってしまいます。狭い世界で階層的な構造ができて、指導的立場にある研究者の指示によって研究の担当者に不正を不正と感じさせなくしていることもあるでしょうし、そのような言動を見て、代々それを継ぐということもあるのでしょう。こうした構造的な問題は、研究者の世界で解決すべきことです。

研究不正は、研究者が本来の研究以外のことに深い関心をもち、自らの邪な思いをとげようと手を染めてしまった結果だといえるでしょう。しかし、このようなことは、研究に関することだけではないと思われます。以前にも触れましたが、研究者があるポジションに就こうとするときには、自ら業績を提示して評価を受けることが一般的です。最近の記事で「学術公正性(Academic Integrity)」について数回、意見を述べました(「科学者倫理に思うこと」「『生涯論文数』について」)。最近は学歴詐称や学位偽装といった不正は少なくなったようですが、それでもときに指摘があるようです。

業績誇称も学術的な公正性に反することであることは確かでしょう。申告された論文の同一性を判定したり、論文数から業績が水増しされていると判断したりすることは、その分野の研究者でなければできません。外見的なことだけでは分からないので、目が行き届かないというのは、論文の捏造の場合に似ているといえるでしょう。最近の記事や他のサイトでのやりとりが「世界変動展望」サイトの「論文水増しによる業績評価について」で紹介されています。

このようなことから、学術界の誠実さを高めるためには、「研究公正性」にとどまらず、「学術公正性」という見方が望まれるのではないでしょうか。「研究公正局」の設置が検討されるようですが、「不正の取締り・監視」以前に、学術界において「学術公正性」を判断するためのガイドラインを共有して、自律的に公正さを保証する仕組みを検討することから始める必要があるでしょう。

こうした学術公正性を確立するための仕組みの一案です。研究不正にしても業績誇称にしても、対象とされる研究者や機関に対して、研究者の所属する機関における研究実施状況の調査や研究内容に関する専門的な観点からの調査が必要なことから、第一義的には研究機関における調査委員会が担当することになるでしょう。この調査結果を報告書として根拠資料とともに学術界に提示して、第三者による裁定を求めるというのはどうでしょうか。自己点検評価に基づく改善の仕組みのなかに第三者評価を置くという考え方は、大学における内部質保証の基本的な考え方で、学術界における自律的な活動にふさわしいものだといえます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について(追記)

文科省の研究不正の取組については、一月ほど前に「文科省の『研究不正に向けた取組』について」として意見を述べましたが、9月26日に文科省から「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の中間とりまとめが公表されました。そこには、「国による監視と支援」として「『研究公正局(仮称)』のような第三者監視組織の設置などは今後に向けた大きな課題である」と書かれています。以前の記事にも書きましたが、(研究不正だけではなく)学術界の不正に対処する自律的な活動を促し、不正に関して審理裁定を行う機関が必要だと考えていますが、「監視」ということには違和感があります。

学術界の自律的な解決には期待できないということで、第三者が監視するということになるのは、科学者にとって残念なことです。学術界では、社会による監視が求められる前に自らが説明責任を果たすべきだといえるでしょう。

研究成果に関する疑義が指摘されたときに、それを調査することはその分野の研究者でなくてはできません。また、その対象となる研究者の所属機関の協力なしには実情が分かるわけではありません。したがって、現状では、それぞれの研究機関や大学などで調査委員会が調査し、その結果に基づいて、その処置をとるというのが一般的です。しかし、それが適切な処置であるかどうかを学術界で判断する機会がないというのが問題だと思います。学術界での「審理裁定」の機能が必要だといえるでしょう。

Academic Integrity とResearch Integrity

これまでに、「学術『公正局』」ということでいくつかの記事を掲載しました。最近の話題が「研究不正」への対応に向いていることから、また、生命科学分野の議論が活発で、米国のORI(The Office of Research Integrity)が参照されて、「公正局」という表現が使われていたことから、その名称を借りました。しかし、わが国で実効的な組織を考えるときに、米国ORIの機能でよいのかどうか検討が必要だという指摘もあります。このなかで、研究不正だけではなく、経歴詐称や業績誇称など学術上の不正を対象とする組織を「学術『公正局』」と表しました。

米国では “Academic Integrity” ということばも使われています。「学術上の誠実さ」とでもいえばよいのでしょうか。あるいは、「学術公正性」といってもよいかも知れません。米国にInternational Center for Academic Integrity (ICAI) という組織があり、多くの大学がメンバーになっています。たんに研究だけではなく、大学の学生や教職員、大学役員などすべての構成員に対する誠実性の規定 (Code of Academic  Honesty) とその実施状況の評価の基準などの情報の提供などを行っています。

わが国では、研究面での不正防止のために研究倫理プログラムを開発して普及させるということが計画されていますが、2年半前に「科学者の行動規範とAcademic Honesty」で書いたように、学問に携わる初期に身につける「誠実性」は研究活動における不正行為への健全な意識をもつためにも重要でしょう。たとえば、指導者からの不正行為の強要といったことにどう対応するのか、自らの信念をもつ機会となることが期待されます。大学教育の中でも、たとえば、工学倫理といったかたちで職業上の倫理が扱われてきていますが、大学における学生生活のなかで身につけるべき「誠実性」もその範囲に含まれるでしょう。

研究成果としての論文の捏造、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用 (Plagiarism)という、いわゆる FFP 研究不正は「研究公正性」の問題ですが、その成果を得るための研究費獲得の際には、業績誇称といった「学術公正性」の問題が出てくることがあります。また、FFP研究不正の当事者として、大学教授といった一定の職階の研究者が多いことから、その職を得た過程について問題が指摘されることもあります。経歴や業績を自ら誠実に記載するのは、研究者としての資質に関わることですが、最低限、研究者として歩むときに身につけるべき誠実さだといえるでしょう。

“Academic Integrity is fundamental to everything we do in the academy”  ということばがあります。大学や研究機関における「学術公正性」の周知を深めることを考えるべきだと考えます。

文科省の「研究不正に向けた取組」について

8月29日に公表された文部科学省の平成26年度概算要求の資料(のp.41から始まるp.50)に「研究不正に向けた取組」の要求が示されています。そこには、「考え方」として、「研究不正の防止に向けて、副大臣を座長とした『研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース』を設置し、これまでの不正事案に対する対応の総括を行うとともに、今後講じるべき具体的な対応策について検討。また、平成26年度概算要求に、研究倫理教育プログラムの開発や普及促進等に係る経費・体制強化を盛り込む。その際、日本学術会議とも連携しながら取組を推進」とあります。

「研究倫理教育プログラムの開発の支援」がほとんどを占め、あとは「研究倫理に関する調査研究」です。 日本学術会議の声明「科学者の行動規範について」(2006年10月3日)が出されてから、多くの大学でそれぞれに研究不正への対応がとられてきたと思います。学術会議では、これを改訂して、2013年1月25日に声明「科学者の行動規範ー改訂版ー」を出しました。文科省の取組の「研究倫理教育プログラムの開発」というのは、関係機関でこのような研究倫理を定着させるための方策でしょう。もちろん、研究倫理の教育・研修は欠くことができません。しかし、これだけでは現下の研究不正の防止策にはならないことも確かなことです。

研究不正の防止が科学者の責務であるとして、「日本の科学を考える」サイトでは、真摯に議論されています。こうした取組みの次になすべきことが何であるのか、意見が交わされています。また、日本分子生物学会の「第36回日本分子生物学会・年会企画アンケート」結果には、1022名の(主として生命科学系の)研究者の回答が得られています。選択肢の重複回答の場合は回答総数を母数とした比率ですが、
○ 約7割が「研究不正に対する現行システムは(あまり)対応できないと思う」
○ 約半数が「研究不正の調査に第三者の中立機関が対応するのがよい」
○ 約7割が「研究不正を取り締まる外部中立機関の設置が望ましいと(おおむね)思う」
という結果です。こうした研究現場の声を政策に反映させることも必要でしょう。さらに、
○ 研究不正を減らすために、約半数が「教育が必要」、約3割が「厳罰化が必要」
としていることから、各機関における不正への対応が強く求められているといえるでしょう。

文科省の施策の中にも「研究倫理に関する調査研究」がありますが、すでに学協会等で行われている取組みや議論を参考にして、実効ある学術の公正を目指すべく本質的な議論を深めるべきだと思います。