Monthly Archives: 10月 2013

研究公正局と博士学位取消し

最近、参議院で議員から「研究公正局」の設置に関する質問主意書が提出されたことと、早稲田大学で博士の学位の取消しがあったことを知りました。

このたびの質問主意書は、9月26日付け文科省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の中間とりまとめに関するもので、10月25日に答弁があったとのことです。文科省のとりまとめについては「文科省の『研究不正に向けた取組』について(追記)」で意見を述べました。

学位の取消しについては、10月21日に公表されていますが、「不正の方法により学位の授与を受けた」という理由です。早稲田大学では初めてということですが、東大での学位授与の取消しについて、3年9ヶ月前に「知を窃(ぬす)んで地に落とす」を書いて以来、気になっていたことです。

「自律的な学術公正性の確保に向けて」で書いたように、いま、学術界で考えるべきは、「研究不正」のことだけではなく、より広く「学術不正」への自律的な行動だと思います。研究費の不正使用や研究論文の捏造といった「研究不正」だけではなく、学位授与に関わる問題にも真摯に対応する必要があります。学位を授与することができる機関において、適切な審査が行われなければ、わが国の学位の国際的な信頼性も損なわれます。

わが国の大学における「グローバル人材育成」や「大学の国際化」が話題となる一方で、海外からわが国の大学の根幹に関わる学位の国際的通用性に疑念を抱かれるようなことがあってはなりません。「研究公正性」だけではなく「学術公正性」に目を向けるべきだというのは、こういう思いからです。

また、「公正性」は、まず、学術界において自律的に確保すべきで、「学術警察」は望むものではありません。学術界が真摯に社会に向けて信頼されるような対応をすべきです。自らも行動すべきだと思っています。

研究者の兼業・兼職について

大学等に所属する研究者は、ときに、外部の組織から依頼を受けて、審議会や委員会の委員に就くことがあります。また、大学の非常勤講師といった形で教育に携わる兼職をすることもあるでしょう。日本学術会議の会員は非常勤の国家公務員として発令されますが、あくまでも個人としての立場で任命されるものです。一般に、研究者が外部の組織の委員として委嘱されるときにはそれぞれの専門的な見解を述べることが期待されていて、自らが所属する組織とは独立の立場であるといえるでしょう。

大学等においては、教員等がそのような審議会や委員会、あるいは日本学術会議の会員等に委嘱を受けたときには、その活動が本務にとって有用だと判断される場合には、一定の条件の下で「兼業」、あるいは「兼職」として認めることにしています。あくまでも、本務に影響がない範囲内での活動です。大学教員には、一般に、他大学等の非常勤講師の依頼もありますが、これも同じです。

このように委嘱される研究者の兼業先では、あくまでも個人の見識のもとで意見を表明するのが基本です。所属する組織を代表して意見を述べる立場にはありませんし、むしろ、職務上の立場を反映させた意見を述べることは兼業・兼職として許可できないでしょう。日本学術会議でも、会員として意見を表明することは、あくまでも個人の責任の下で行うべきことであり、決して組織を代表するものではありません。

兼業・兼職として務めるときに、本務や所属組織の意見を反映させようというのはおかしいことです。組織の役職にある者はとくに留意すべきでしょう。当然のことながら、このことは分かっているはずですが、ときにそうでもないことに出会います。また、場合によっては、「人格は一つだから」ということで、本務や兼業において見境のない行動をとるようなこともときに見受けられます。このようなことは、いずれも、学術界における利益相反にもつながりかねません。学術界では気づかないのか、あるいは、あえてそういう指摘を避けようとしているのか分かりません。当事者は自らの意見表明の責任を組織に転嫁することにしているかも知れませんし、結果的に兼務によって所属組織に利便を図ることになるかも知れません。兼務・兼職にあたっては、このようなことがないように厳に戒めるべきだといえます。

Blogでの意見の表明も同じです。所属する本務先や日本学術会議の意見を代表するものではありません。プロフィールには表示していない審議会や委員会の委嘱も受けておりますが、そこでも、個人としての意見の表明をしています。

研究者情報の公表と活用について

大学や研究機関に在籍する研究者は自らの研究成果を論文などで公表していますが、その情報はどのように公開されているでしょうか。論文誌に掲載される論文は、その分野の研究者は論文誌を見て知ることができるでしょうが、それでも、論文誌は数多く存在しますので、網羅的に見ることは難しいでしょう。また、少しでも分野が違う研究者にとっては、研究成果はなかなか分からないものです。一般に、研究者が公的な立場で研究を行っていることを考えれば、研究者自らがその研究成果などを社会に向けて公表すべきではないでしょうか。研究者情報の公表は、学術界における自律的な学術公正性の確保にとっても有用だといえるでしょう。今回は、研究者に関わる情報を自ら公表するとともにそれを活用することを考えてはどうかという提案です。

学校教育法施行規則等の一部を改正する省令(平成22年文部科学省令第15号)が平成22年6月15日に公布され、平成23年4月1日から施行されました。この改正の趣旨は、「大学等が公的な教育機関として、社会に対する説明責任を果たすとともに、その教育の質を向上させる観点から、公表すべき情報を法令上明確にし、教育情報の一層の公表を促進する」こととされています。この省令は、各大学が9項目についての情報を自主的に公表することを求めています。

そのなかで、教員に関わる情報の公表については、以下のように示されていて、各大学は「各教員が有する学位及び業績」を公表することになっています。

【3】 教員組織,教員の数並びに各教員が有する学位及び業績に関すること。(第3号関係)

その際,教員組織に関する情報については、・・・に留意すること。

教員の数については、・・・に留意すること。

各教員の業績については、研究業績等にとどまらず、各教員の多様な業績を積極的に明らかにすることにより,教育上の能力に関する事項や職務上の実績に関する事項など,当該教員の専門性と提供できる教育内容に関することを確認できるという点に留意すること。

読者の方々はこういう状況をご存知でしたでしょうか。すべての大学は教員に関する情報を公表しているのです。

各大学での対応はさまざまです。在籍の教員の学位や経歴、研究業績、学内での活動状況、担当の教育科目等を一覧にして公表していることが多いようです。大学でこのような情報をとりまとめるにあたって、研究業績以外の情報は人事記録等から得られるでしょうが、研究業績については、各教員が情報を提供するしかありません。

大学教員や研究機関の研究者は自らの研究業績はなんらかの形で記録しているでしょう。職を得るにしても、競争的研究資金を得るにしても、経歴等とともに研究業績や教育上の業績などが求められるからです。教員は自分の記録をもとにして、上にあげたように組織の求めに応じて、また、科学研究費等の公募への申請の際には、それぞれの様式に変換して提出することになります。

研究業績にあげる成果物は、一般的には学術論文や会議録等で公表されている著作物でしょうから、その一覧表を様式に従って記載することになりますが、どれが原著の学術論文であり、どれがピアレビューを経て公開されたものであるのか、研究成果として評価すべきものだということは研究者が自らの判断で示さなくてはなりません。そこには、学術公正性の観点から、偽装や誇称があってはならないことは当然です。「こういう成果を『論文』というのはどうか?」といった疑問は直ちに、その研究者個人の「学術界の常識」への疑念につながります。

最近、多くの研究者が Read&ResearchMap に情報を登録していて、教員情報の公表に活用している大学等も増えているようです。もちろん、一般に公開されていますので、研究者名で検索したり、研究課題等での検索もできます。研究者にとってありがたいのは、論文等の情報を個別に入力しなくても、公表されている各種のデータベースから取り出してきて、「候補」としてリストアップする機能があることです。もっとも、海外の出版物についてはまだ十分ではありませんが、整備が進められていますので、近いうちにできるようになるでしょう。また、Read&ResearchMap に登録した個々の教員の情報をもとにして、大学による教員情報の公表用のWEBページを生成したり、教員が申請する科研費の業績リストを生成することにも活用できるということです。

研究者自らが個人の記録の置き場として Read&ResearchMap を利用して、社会に研究成果を公表するとともに、研究者が同じ分野や関係の研究者コミュニティに情報を提供するためにも活用できるでしょう。こうした活用の利便性が高まれば、研究者情報を自ら提供する研究者が増えるでしょうし、学術界での自律的な学術公正性にも効果が得られると思います。

学術界での利益相反について

学術界における「利益相反」は、研究不正の文脈の中では表面に出てこないようですが、研究者の不適切な行為として「学術公正性」の観点から捉えるべき課題だといえるでしょう。以前にも参照した「日本の科学を考える」サイトでの議論の中で感じたことです。職務上の「利益相反」というのは、「職務として中立の立場で業務を行うべき者が自己や第三者の利益を図り、職務の中立性を損なうこと」だといえます。

たとえば、ある分野の研究者の「第一人者」が公的な研究プログラムの立案に携わっていながら、自らそのプログラムから研究費を得るといった状況はどう考えればよいのでしょうか。その分野の「第一人者」と目される研究者は、研究行政の担当部署から研究プログラムの立案に参画を求められることもあるでしょう。その上で、そのプログラムで公募が行われるようなときには、それに応募して研究プロジェクトを提案することもあり得ます。公募されないときでも、プロジェクト実施者についてはなんらかの選定が行われることになり、「第一人者」のプロジェクトが採用されることもあるでしょう。

こういう場面では、プログラムの立案に参画した研究者は「第一人者」なので、そのプログラムのなかで研究することが当然だと見られるかも知れません。なにしろ、「第一人者」なのですから、プログラムを成功させるためにも、プログラムの推進者からはそうして欲しいという意見も出てくることでしょう。

しかし、これは健全な研究プログラムの姿ではありません。どうしてこういうことが起こるのでしょうか。端的に言えば、研究者が当面の研究費を得ることを目的としているからでしょう。高い見識を持って広く学術界のことを考え、説明責任を果たすことを念頭に置くならば、研究者自らが利益誘導を行うことはないはずです。そうでないからこのようなことが起こるのです。「立場が違うから」という言い訳もされるでしょう。たしかに、中立的に振る舞うことはできますが、それでも、「自己の利益を図り、職務の中立性を損なう」ことです。

こうした形の利益相反は学術界ではときに話題になりますが、「形式的には問題がない」、「研究不正ではない」ということで、上にあげたような「第一人者」はそれであり続けるということになっているようです。しかし、学術界における利益相反行為は、当然、「学術公正性」の観点からも自律的に排除すべきことです。

「審議のアーキテクチャ」について

計算機科学の分野では「アーキテクチャ」というと、直ちに Computer Architecture を思い浮かべます。もちろん、「アーキテクチャ」はそれ以前から建築学で使われている用語です。しかし、このことばはさらにより広い分野、たとえば社会思想の分野でも使われていることを知りました。日本学術会議の審議について、会員のある方との立ち話でこのことばを教わりました。その概念を正確に表すことができないのですが、「組織の構成員が自発的に議論に参画できるようにすることにより、一部の構成員からなる委員会審議よりも本質的な審議をすることができるのではないか」いうことで、審議の構造に関することをこの「アーキテクチャ」ということばで表現してみたのです。もとより、ここでは「アーキテクチャ」の用語を議論しようというのではありません。以下は、新たな「審議のアーキテクチャ」の提案です。

日本学術会議の第165回総会が10月2日〜3日に開かれました。会員210名が参加する半年に1回行われる総会です。自由討議のときに、学術会議の会員・連携会員の約2,200名が利用できるWEB掲示板についての話題を提供しました。この掲示板は1年ほど前から使われています。WEB掲示板には委員会等の委員に閉じたフォーラムと会員等に全面的に公開されているフォーラムがあります。それぞれのフォーラムには、話題ごとに意見交換をするトピックを設定することができるようになっています。記事の掲載はすべて実名で行います。総会で提供した話題というのは次のようなものです。

 日本学術会議は行政機関ではありません。また、特定業務を目的とした独法でもありません。科学者コミュニティを代表する会員が政府から独立して議論できる場です。

会務を円滑に行うために委員会や分科会を置き、幹事会が総会を代理して学術会議の意思を決定する仕組みですが、会員が同等の立場であることから、委員会等での決定は最大限尊重することが慣行となっているといえます。そこには、陳情や利益誘導は忌避すべき活動だといえるでしょう。

こうした学術会議の構成員のあり方を基礎に、会員・連携会員が同等の立場で、委員会等への所属や役職とは無関係に自由に意見を交換して議論することができるように掲示板 SCJ Member Forum を設置しました。また、最近の会員が多忙で会議のために参集することが難しいことも一つの要因だったといえるでしょう。

運用を始めて、1年以上経つのですが、その利用は、必ずしも本来の目的にあったものとはなっていないように思われます。

会員の方々と、掲示板の利用に関してその実績とその活用についての意見交換をしたいと思います。

日本学術会議の会員210名は、人文・社会科学、生命科学、理学・工学という3つの部に分かれて所属しますが、学術の専門分野ごとの振興を図る活動とともに、分野を越えて学術の総体に関わる活動を行うことが職務だといえます。分野別に30の委員会がありますが、それらの下に総計300を越える分科会が設置されています。これらの委員会や分科会は、それぞれの専門分野の委員で構成されているのですが、学術全体に関わる委員会には、各部から委員を選んでいます。会員以外に、2,000名弱の連携会員も参加します。

このような形で行われている委員会の「審議のアーキテクチャ」は、従来の伝統的な会務運営に基づくものですが、果たして、一定数(30名以下)の委員から構成する委員だけで会員の意見を十分に代表できているのでしょうか。決して、委員の方々を批判しているわけではありません。委員を務める方々の代表性の課題の解消とその方の周囲の方々の意見を集約するという負担の軽減という観点からの提案です。学術会議は、会員が同等に意見を述べることのできる組織であり、行政機関のように役職によって構造化されているわけではなく、会務を処理する会長、副会長、部の役員に辞令が出ているわけでもありません。

実際、すでに公表された審議結果の表出に関しても、会員等からのさらなる意見も出されます。委員だけで広く会員の意見を代表するのが難しい場合もあるでしょう。こういうことに対して、新たな審議の形態、すなわち「アーキテクチャ」があるのではないでしょうか。たとえば、このところ話題になっている「学術の公正性」といった議論を行うには、選ばれた少数の「委員」だけではなく、会員等が同じ立場でWEB掲示板で意見を交わす形で審議を行うのがよいのではないかと思います。

このような審議の形態は、構成員が同等に意見を述べあうことを基本とする組織に特徴的なものだといえるでしょう。政府等の委員会で「有識者」として研究者が委員を務める場合とは状況が違います。従来の「委員会」を構成するには多数に過ぎる会員組織における審議を実質的に行うために、WEB掲示板という手段による新たな「審議のアーキテクチャ」を考えてはどうでしょうか。もちろん、掲示板だけでなく、Facebook等の可能性もあるでしょう。

上にあげた学術会議総会での話題提供は、本来ならば、WEB掲示板で行いたいと思ったのですが、なにしろ、そういう議論を掲示板で交わす状況にないので、会員の方々の(半数ほどが出席している場で)意見を聞いたのです。その反応や結果についてはご想像に委ねますが、「審議のアーキテクチャ」という観点を得たことは収穫だと思っています。