Monthly Archives: 3月 2014

自律的な学術公正性の確保に向けて(追記)

最近のSTAP細胞の論文についての調査委員会の中間報告や、その論文の筆頭著者の学位論文のことについてのさまざまな情報を知るにつけ、ますます学術界の現状に、そこに身を置く一人として、大きな責任を感じます。

先日、ある会合で以下のような意見を述べました。とくに今回の件を意識したものではなく、最近、見聞きしていたことからの発言です。

資料には、「次代を担う人材育成をしているのか」、また、「優秀な若手研究者が育ちにくいのではないか」ということが課題とされていますが、若手だけではなく、次の世代を育てるような研究者が育っているのか、ということが問題ではないでしょうか。つまり、研究はしているのかもしれませんが、次の世代を育てるような形で研究しているのかどうか。私は疑問に思います。特に最近の若い方が、「論文」は書けても、議論の場とか、文書をまとめるときに論理的な素養について「えっ」と思うようなことをたびたび経験しています。研究を通じて研究者を育てるという体制がとれているのかどうかということを強く意識すべきだと思います。研究体制そのものに対する欠陥というのがかなり現れてきているのかも知れません。こうした認識を持てるものかどうかも考える必要があるのではないかと思います。

研究に携わる者が一人の独立した研究者として自律的に責任ある行動をとることが前提となって、社会から学術界における研究の自由が認められているといえるでしょう。

半年ほど前から、これに関連する話題としていくつかの意見を書きました。これらは、いわゆる「研究不正」への対応だけではなく、学術界における「誠実さ」をもとにした自律的な公正性の確保が重要ではないかという考えを述べたものです。業績誇称や利益相反なども対象になるでしょう。

これらについては、4年ほど前にも書いたことがありました。

今回にも話題になっているような学位論文の剽窃問題に愕然として考えを書いてから、ずっと気になっていました。加えて、半年前には業績誇称などのことがきっかけで、学術界での自律的な活動の重要性を強く感じたのです。そのときには、今回のSTAP細胞のことなど知る由もありませんでした。

Retraction Watchのサイトに見るわが国の論文の撤回には驚きます。国際的にわが国の学術論文が信頼されなくなることは極めて深刻な事態だといえるでしょう。

研究者は、自ら学問への誠実さによって真理への畏れをもち、「学術公正性」を育むことが大事でしょう。それによって、次代の研究者を育成することができると信じています。

ピアレビューの陥穽

驚きました。いまもなお、といってはなんですが、こういうことは繰り返されるのでしょうか。

国立国会図書館のカレントアウェアネス・ポータルに
「SpringerとIEEE、機械生成されたでたらめな論文120本以上をプラットフォームから削除」という記事が出ています。

2014年2月24日付けのNature誌の記事で、SpringerとIEEEの商用プラットフォームに収録されている会議録論文の中に、機械生成されたでたらめな論文120本以上が含まれていたことが報じられています。現在はこれらの論文は削除されているとのことです。

もとのNature News 2014/02/24 は

Publishers withdraw more than 120 gibberish papers

にあります。

Computer Science 分野の論文生成システム(といってよいのかどうか?)SCIgen – An Automatic CS Paper Generator で生成した論文だということです。冒頭に

Our aim here is to maximize amusement, rather than coherence.

とあるように、まったくのおふざけなのですが、2005年にSCIgenの作成者がある会議に投稿したり、その後も、話題にはなったようです。

20年ほど前だったでしょうか、IEEEと並ぶ、米国の(というより、国際的な)Computer Science の学会 Association for Computing Machinery (ACM) の雑誌の記事として(もちろん、冗談交じりに)出たことがあったように記憶しています。この頃には、人工知能(Artificial Intelligence, AI)の話題であったのでしょうか。SCIgenでは、グラフや表も生成されるようですが、その前にはテキストだけだったと思います。

今回のSCIgen論文が見つかったのは、SCIgenで生成された論文かどうかを判定するシステムによるとされています。SCIgen detection Site というのもあります。2010年頃には、いんちき論文を検出するためのアルゴリズムが発表されています。

学術論文の発行、公表は通常、ピアレビューが行われます。つまり、“同業者”が相互に論文を査読して、新規性や独創性など評価に値することを確認した上で公開するわけです。しかし、この、「専門家に委ねる」というところに落とし穴があることは、たびたび指摘されています。本当に査読ができているのかどうか、ピアレビューというのが機能しているのかどうかということは、論文誌の信用に関わることです。ついうっかり、ということで偽装論文を見過ごしてしまうと、ランダムに生成したという論文までもが掲載されるということも起こりかねません。

1995年には「ソーカル事件」が話題になりました。翻訳版「『知』の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用」の副題にある「科学の濫用」は、学術界が社会に対する責任の危うさを示しているといえるでしょう。

論文の偽造だけではありません。身内で学会を作って論文を公表すれば、論文数を増やすことができるとか、実態のない国際会議をでっちあげて発表を募るといったことも目にします。いずれも、外形はもっともらしいので、疑いをもたない人たちには分からないでしょう。これも、ピアレビューの落とし穴でしょう。

学術の世界、また、科学者が社会から信頼されるためには、自らの誠実さに責任をもたなくてはならないといえます。