自律的な学術公正性の確保に向けて(追記)

最近のSTAP細胞の論文についての調査委員会の中間報告や、その論文の筆頭著者の学位論文のことについてのさまざまな情報を知るにつけ、ますます学術界の現状に、そこに身を置く一人として、大きな責任を感じます。

先日、ある会合で以下のような意見を述べました。とくに今回の件を意識したものではなく、最近、見聞きしていたことからの発言です。

資料には、「次代を担う人材育成をしているのか」、また、「優秀な若手研究者が育ちにくいのではないか」ということが課題とされていますが、若手だけではなく、次の世代を育てるような研究者が育っているのか、ということが問題ではないでしょうか。つまり、研究はしているのかもしれませんが、次の世代を育てるような形で研究しているのかどうか。私は疑問に思います。特に最近の若い方が、「論文」は書けても、議論の場とか、文書をまとめるときに論理的な素養について「えっ」と思うようなことをたびたび経験しています。研究を通じて研究者を育てるという体制がとれているのかどうかということを強く意識すべきだと思います。研究体制そのものに対する欠陥というのがかなり現れてきているのかも知れません。こうした認識を持てるものかどうかも考える必要があるのではないかと思います。

研究に携わる者が一人の独立した研究者として自律的に責任ある行動をとることが前提となって、社会から学術界における研究の自由が認められているといえるでしょう。

半年ほど前から、これに関連する話題としていくつかの意見を書きました。これらは、いわゆる「研究不正」への対応だけではなく、学術界における「誠実さ」をもとにした自律的な公正性の確保が重要ではないかという考えを述べたものです。業績誇称や利益相反なども対象になるでしょう。

これらについては、4年ほど前にも書いたことがありました。

今回にも話題になっているような学位論文の剽窃問題に愕然として考えを書いてから、ずっと気になっていました。加えて、半年前には業績誇称などのことがきっかけで、学術界での自律的な活動の重要性を強く感じたのです。そのときには、今回のSTAP細胞のことなど知る由もありませんでした。

Retraction Watchのサイトに見るわが国の論文の撤回には驚きます。国際的にわが国の学術論文が信頼されなくなることは極めて深刻な事態だといえるでしょう。

研究者は、自ら学問への誠実さによって真理への畏れをもち、「学術公正性」を育むことが大事でしょう。それによって、次代の研究者を育成することができると信じています。

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