Daily Archives: 2010-03-07

科学者の行動規範とAcademic Honesty

一昨日、東京大学の133年の歴史の中で初めてという学位授与の取消しを聞いて、「知を窃(ぬす)んで地に落とす」と書きました。科学者にとっての規範が問われることは他にもありますが、あらためてその重要性に気づかされました。

日本学術会議では、2006年10月3日に声明「科学者の行動規範について」を出しています。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-s3.pdf

科学者として自ら律することを明確に述べたものです。

各大学、各機関にもそれぞれ規範があるでしょう。東京大学には

http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/res/res4/kihan/kihan.pdf

があります。

今回の学位授与に関わる問題は、科学者としての第一歩を踏み出そうとする、あるいは踏み出したばかりの大学院学生の行動に係るものです。もちろん、博士論文の執筆の指導における科学者としての行動も問われます。

大学院学生の行動規範というのはあるのでしょうか。昨年、今回の件がインターネット上で話題になったときに、ある方から問われました。私の知る限りにおいて、大学や研究科にはそういった文書がありませんでした。一方で、その方からは、外国の大学で大学院学生やその募集に向けて公表しているWEBページを教えていただきました。

http://www.grad.uottawa.ca/default.aspx?tabid=1378

私の研究分野である Computer Science を対象としているコロンビア大学の専攻のページも教わりました。

http://www.cs.columbia.edu/education/honesty

他大学でも使われているようですが、”Academic Honesty”ということばが新鮮で入りやすいのではないか、とのコメントもいただきました。まさに、そうだと思います。学生がレポートを作成するときの心得も書かれています。

科学者がもたなくてはならない倫理は、ややもすると観念的に捉えがちですが、先輩が若い科学を目指す者へ伝えるべき大事なことといえます。具体的な研究成果だけが科学者を育てるのではないということを認識すべきでしょう。

本末転倒?

今日は日本学術会議で情報学シンポジウムを開きました。

http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/86-s-3-4.pdf

その前、午前中には情報学委員会と各分科会の合同会合をもち、さらに7つの分科会が開かれました。昨日、別の学内の会合の場でも話題になったことが、今日もまた話に出ました。「研究費と成果」の関係、目的と手段が逆転しているのではないかという懸念です。

昨日は、若い研究者と話した中で、研究費を手に入れる悩みを聞きました。大学の基盤的経費で十分に研究できるにこしたことはありませんが、そうはいかないのが現状です。大学における curiosity-driven 研究には科学研究費を得るのが基本です。分野によって、また研究費の額にもよるのですが、新規課題の申請件数に対する採択件数を見ると、平成21年度は24.9%でした。

http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/index.html

複数年の計画の課題については、一度、採択されると数年の研究は継続できますが、新規採択が1/4ということですから、科研費による研究費が途切れることはもちろん起こります。では、どうするのでしょうか。

研究者個人ではなく、共同で研究費を得る(研究代表者の共同研究者になる)こともその一つの対策でしょう。しかし、萌芽的な curiosity に基づく研究目的を共有することは常ではないでしょう。では、どうすればよいのでしょうか。他の研究費を得る途を考えることになります。産学連携も考えられるでしょうし、別のFunding Agency のプログラムに応募することも一般的でしょう。

問題は、そのような研究費を獲得することと、本来の研究のことです。研究費を獲得するための努力がなければ、本来の研究を進めることはできません。これが、施策による競争的資金による研究促進の目的でしょう。語弊があるかも知れませんが、「エサで釣る」わけです。このようにして獲得した研究費によって得られた公表論文や実験機器の試作品は、その研究費による成果です。

研究費がこのような使われるには問題ないでしょう。いえ、本来の競争的研究資金のあり方そのものです。しかし、ときにして、あるいは、往々にして、研究成果がないと次の研究資金が得られない、ということも起こります。科研費を初め、競争的資金は3-5年の年限があります。次の研究費のためには、実績を作らなくてはなりません。このときに、論文を何のために書くのか、公表するのかという話になります。これまでの論文がなければ、次の研究費が得られない、といった現実から、少々、無理にでも論文発表をすることになることが、「本末転倒」ではないかと思うのです。

若い研究者が(もっとも、これは年齢によるわけでもないのですが)、多くの時間を使って研究のための経費を工面しなければならない、しかも、それでも経費が得られないという現実は、自由に若い発想を大事にしようという考え方に反しています。それにも増して、それを理由に、「次期研究費のために論文を書く」という暗黙の理解がなされることに危惧を抱きます。

とくに、若い研究者に、このような「本末転倒」が生じないように研究費の「つなぎ」ができるような、セーフティネットを作ることが大事でしょう。研究スタイルは、研究生活の初期に得た経験が大きいと思います。本来の研究が先にあって、その成果を社会に還元するという研究スタイルを次代の研究者に提示することがきわめて大事だと考えます。